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一回表:沢村栄治の球速は? 2015.8.22追記

 

沢村を目の当たりにした人は160km

 沢村英治といえば戦前の職業野球を代表する大投手である。足を高々と上げたフォーム、鉄砲玉と比較された豪速球と、「懸河のドロップ」「三段ドロップ」といわれた、落ちるカーブで、大リーグ選抜チームを手玉に取った、静岡草薙球場での快投は、既に神話化されている。故藤本定義(元ジャイアンツ−スターズ−ユニオンズ−タイガース監督)、故三原脩(元ジャイアンツ二塁手、元ジャイアンツ−ライオンズ−ホエールズ−バファローズ−アトムズ監督、元ファイターズ球団社長)、故青田昇(元ブレーブス−ジャイアンツ−ホエールズ外野手)、故別所毅彦(元ホークス−ジャイアンツ投手)ら、沢村の投球を目の当たりにしたことのある諸氏は、金田正一(元スワローズ−ジャイアンツ)、尾崎行雄(元フライヤーズ)、江夏豊(元タイガース−ホークス−カープ−ファイターズ−ライオンズ)、江川卓(元ジャイアンツ)といった戦後の速球投手と沢村を比較して、「問題にならない」「沢村の前に沢村なく、沢村の後に沢村なし」「沢村は10km違う(160km)」と口をそろえて力説していた。画像は沢村の「足上げ」。

 

戦後派は「せいぜい140km」説

 その一方で、こうした見方に疑問を呈する向きもある。「記録の神様」宇佐美徹也氏は、「昔は130km台が普通で、沢村がそれより10km速い140km台を記録しても当時の選手達にはかなり速く感じたにちがいない。175cm71kgの沢村が150km台の球を放っていたとはどうしても考えられない。(『Number PLUS プロ野球大いなる白球の奇跡』)」と述べている。また、模擬ドラフトで有名な小関順二氏も、アメリカのドキュメンタリー番組『Baseball』で見た沢村のピッチングフォームの感想として、「あのフォームで150kmを出したとはとうてい思えない。」という趣旨の発言をしている(『ドラフト王国』)。

 

沢村は本当に大投手だったのか?

 筆者は後者の意見にも十分に頷けるものがあると思う。若林忠志投手(タイガース)といえば沢村と投げ合った直接のライバルだが、『プロ野球昭和の名選手』というビデオで見た彼の速球のスピードはどうみても120km台だと思う(なぜそう思うかについては後に述べる)。いかな「七色の変化球」を操る技巧派投手だといっても、ちょっとスピードがなさすぎる。こうしたピッチャーと比べられれば130km台でも速いと思われるのは無理のないところである。また、NHKの『なぜ4割打者は絶滅したか?』という番組でスワローズの古田克也捕手が言っていた「オリンピックのような記録に残る種目で比較すれば昔より現代が優れているのは一目瞭然」という趣旨の発言も野球を知り尽くした選手の意見だけに納得せざるをえないものがある。画像は法政大時代の若林忠志。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。

説明: 若林忠志01

 

沢村の速球はボブ・フェラーのチェンジアップ

また、吉目木春彦氏が指摘するように(『魔球の伝説』)沢村の速球が大リーグ選抜には草薙球場以外では通用せず、前後の試合では10点以上取られるめった打ちをくらっていることも気になるところだ。大リーグのその当時の野球のレベルとも併せて考えなければならない話しだが、沢村とほぼ同世代の米国の速球王ボブ・フェラー(インディアンズ)は、17歳で大リーグデビューするや、当時のアメリカンリーグ記録である17奪三振を記録している。フェラーについてはいまだに大リーグ史上最速投手であると考える人が大勢いて、その球速を科学的に測ろうとした試みが数多く残されている。その記録は最高170kmに達し、「現代の投手の速球は私のチェンジアップだ」というフェラーの発言は昔の野球ファンの私には心強い限りである。しかし、コイル方式である米軍の弾丸速度測定器(現在の方式はドップラー式)で測った球速は159kmであり、この前後が実速に近いような気がする。沢村もフェラーも、コントロールや投球術よりもスピードと勢いで同じ「スクールボーイ」として大リーガーの前に立ちはだかったのだが、次々と大記録を打ち立てて行ったフェラーと、米国遠征で3Aのサンフランシスコ・シールズといい勝負をしていた沢村が、同程度のスピードの持ち主だったとは思えないのである。フェラーに言わせれば、「沢村の速球は俺のチェンジアップだ」といったところだろうか。画像はボブ・フェラー。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。

 

説明: ボブ・フェラー連続画像01

 

ど素人だってちょっと鍛えりゃ130km!

 しかし、昔の野球大好き派としては沢村投手の球速が140km台ではあまりにもロマンがないので、あえて沢村140km説に反論してみたいと思う。それも感情論は排してできるだけ科学的に行うつもりである。

2015.8.22追記:この文をちゃんと読まずに筆者を妄想狂扱いした日本語の苦手な若者たちももう40歳を超えただろう。今はどんな議論を展開しているやら。

 まず、若林忠志120km説に対して若林ファンが「お前はビデオの球を見ただけでスピードが分かるほど野球の経験があるのか」と、怒っているかも知れないので、筆者の野球の経験と球速を判断した根拠を述べる。はっきり言って筆者は大学の一年間以外は草野球の経験しかない。大学の最初の1年だけは軟式野球部に所属したが、練習がきつくて辞めてしまった。だが、ど素人が経験した本格野球の世界ということで、むしろ昔の野球について貴重な知見が得られたと思っている。

 実は、筆者はスピードガン第1世代であり、小松辰雄(元ドラゴンズ)や江川卓の球速を測ったのと同じ機種のスピードガンで自分の球速を測ったことがあるのである。その結果は、130km!であった。(5球測って他の4球は120km後半だったから誤計測とはいえない。)空気抵抗の大きい軟式だから相当のスピードだと思う。ちなみに筆者はその当時、177cm62kgであった(余談だが現在は体重だけ92kgとなり、高校の同窓会で誰も筆者だと分からなかった)。

 

ど素人が見た球速の目安

 その当時は球速を測るのが流行で、野球部の面々(筆者以外は全員小中高の野球経験者)も大抵測ったことがあったが、110140kmの範囲だった。フリーバッティングで投げる彼らの球速と「ど素人」が見た球の印象は、110km台:「バッターボックスから見るとおじぎせず真っすぐに来る」。120km台:「バッターボックスから見ると手元で速くなる」。130km台:「バッターボックスから見るとホップする(浮き上がる)」。140km以上「横から見ていてもホップするのが分かる」。

 筆者は自分が高校野球をやれない寂しさからよく県予選を見に行ったが、横から見ていてもホップするのが分かる投手というのはあまり見なかった。記憶に残っているのは、完全試合をやったときの北別府学(都城農業−元カープ)と竹口(下の名前は忘れた。多良木高校からホークスに入団したが大成しなかった)くらいである。このイメージで行くと若林投手の球は「手元で速くなる」ボールで、120km台ではないかと思う。もっとも、若林投手は自著(『七色の変化球』)の中で法政大学時代に投げ過ぎで肩を壊したと言っており、しかもフィルムが撮影されたときにはもう30歳台の半ば過ぎ、戦争を挟んで戦後もしばらくは実業家をしていたそうだから、全盛期の球速は望むべくもなかったかもしれない。

 

174cm,71kgは貧弱な体格なのか?

 さて、まず宇佐美氏の論についてである。宇佐美氏の論の核心は「戦前と現在では体格が違う。体格のよくなった現代の投手たちが体格の劣った昔の投手より速い球を投げるのは当然である」ということだろう。

 だが、177cm62kgの体格(ようするにヒョロヒョロである)のど素人でもちょっと鍛えれば軟式で130km程度の球速(硬式だと5kmはプラスするはずである)は出せる。174cm71kg、京都商業の猛練習で鍛え上げ、注射器の針さえ入らなかったという強靭な筋肉、楽々と目の高さまで足の上がる柔軟な下半身、投手としては理想的な外反肘(猿腕)を天から授けられた沢村投手が140km台のスピードしか投げられなかったのだろうか。画像は沢村の全身写真。

 

沢村とたいして身長が変わらない尾崎

 第一、宇佐美氏が「戦後最速」と述べている尾崎行雄は176cm83kgである。身長は沢村とほとんど変わりがない。しかも沢村の身長は徴兵検査の正式なものだが、尾崎の身長はプロ野球機構の公式発表である。ブルペンで投げているピッチャーの身長と自分の身長を比べてみた限りでは、この発表は投手に関しては「打者になめられないように」本人の水増し申告や測るときの背伸びなどがあるように思えてならない。例えば桑田真澄投手(ジャイアンツ)など公称の174cmもあるようには思えないのだ。尾崎の体重は沢村より10kg以上重いが、筋肉が充実して重いというより、顔貌から見る限り体脂肪率が沢村より高かったのではないかと思う。もちろん尾崎の球はビデオで見るとものすごい速さであり、スピードガンで測れば150km以上あっても何の不思議もない(中京大の湯本教授が計算したところでは159km/h)。しかし、「沢村140km」「尾崎戦後最速(つまり160km)」という根拠を身長と体重の比較に持ってくるのは無理があるのではないだろうか。

 

速球投手に大男はいない?

 また、当時の審判員が「異口同音」に最速という米田哲也投手(ブレーブス−タイガース)にしても身長180cm87kgである。体重は選手生活晩年のものではないだろうか。若いときは容姿からはそれほどあるとは思えない。身長は沢村より6cm高いが、「6cmも高い」と考えるか、「6cmしか違わない」と考えるか。

 「最速投手は誰か?」というときに取り沙汰される投手で185cm以上ある投手はいない(黄色人種でないスタルヒン・ダルビッシュ、黒人とのハーフの伊良部らは除く)。一番高い金田正一でも184cmである。身長が高い投手が真っ向から投げてくる球は確かにそれだけでも打ちにくいので高身長は投手の資質の一つだと思うが、それがイコール球の速さではないと思う。馬場正平(元ジャイアンツ)や山沖和彦(元ブレーブス)は身長190cmを超えた投手で、特に山沖は100勝以上の実績を残した投手だが、最速談義に名前が上がったのを聞いたことがない。

2015.8.22追記:この説については藤波晋太郎(大阪桐蔭高-タイガース)や大谷翔平(花巻東高-ファイターズ)などの登場によって否定されたといってよいだろう。190cmを超える投手は160km/hを超える速球を投げられるのだ。しかしこれは170cm台の投手が150km/h超えの速球を投げられないことの証明にはならない。

 

沢村のフォームは非合理的なのか?

 次に小関氏の論について。小関氏の論の核心は「沢村のフォームで150kmは無理」というものである。小関氏は沢村のフォームは巷間伝えられるような真っ向上段の理想的な速球投手のそれではないという。それを3球投げたピッチングフォームを撮影した8mmフィルムから判断している。

20024月、やっと筆者も小関氏が自説の根拠としているフィルムを見ることができた。たとえ沢村が150km出ていなかったことが証明されるようなフォームだったとしても、沢村が試合で投げているフォームを見ることができるうれしさで筆者の胸は高鳴った。ところが、結論から言えば、この映像では日本人投手が4球投げているが、その4球は3人の違う投手が投げており、しかもどれも沢村の映像ではない。筆者は心底から落胆した。1球目は朝倉長投手(早稲田大)、小関氏はこの時点でナレーションは沢村についてでも映像は沢村のものではないかもしれないことを念頭に置くべきであった。朝倉は左投手なのだから。23球目は早慶戦の映像や静止画像から考えれば伊達正男(早稲田大)である可能性が高い。伊達は当時「日本一の投手」といわれ、3年前の日米戦でも好投しているから、米側が映像に残していても何の不思議もない。伊達は当時の投手としては「球持ちのよい」投手であり、遠投記録120m、野茂英雄(ドジャース)程度の防御率は日米戦で見せていた投手である。郭泰源(元ライオンズ)はこんなフォームでも150km出していたがなあ、と思いつつ、このフォームでも130km後半から140km中盤の球速は可能と言っておこう。しかも伊達の全盛期は3年以上前である。この投手はあるいはやはり当時の速球派である青柴憲一(立命館大)である可能性も否定できない。日米戦の際沢村の背番号は8だから、いずれにせよ背番号18のこの投手は沢村ではない。3球目は同時代かそれより古い時代の学生野球の映像だが、下手投げであるこの小柄で細身の投手がどうして沢村に見えるのだろうか?明らかに体型も投げ方も違う23球目の投手と同一人物であると思っていること自体信じがたい。あるいはこの当時は上手投げの投手でも最初は下手投げでウォームアップを始める習慣があったのかもしれない(オーバースローの小川正太郎:早稲田大が横手で投げたり、サイドスローの宮武三郎が下手で投げたりしている映像がある『早慶戦百年』)から、小学校、あるいは中学12年の頃の沢村である可能性も全くないとはいえないが、相手がまだ子どもの頃のしかもウォームアップの映像を捕まえて「このフォームで150kmは無理」とはあまりにもアンフェアではないだろうか?しかも捕手はおろか審判すらマスクもプロテクターもしていないから、明らかにウォームアップ、ひょっとすると硬式野球であるかどうかさえ疑わしい。(まだマスクをしないのが敢闘精神の表れなどと言われる年代ではない)。小関氏が専門であるドラフト候補の映像を見て、こんな評価の下し方をするだろうか?昔の野球に対する先入観で分析眼が狂っているとしか思えない。

 筆者は沢村のピッチングフォームについては、足を高く上げてマウンドからウォームアップしているところを正面から捉えた8mmフィルム(画像:職業野球第1回秋期優勝決定戦−1999.12.31.NHK BS番組)とキャッチボールしているところを正面と側面から捉えた8mmフィルム(長崎での実業団とのオープン戦−2000.1.2 民放番組)、あとは断片的な写真しか見たことがない。したがって、「このフォームなら150km出る」とも「出ない」とも言えない。ここでは長年見てきた沢村関係の映像についての感想を述べる。

20088月に沢村が試合で投げている映像を見ることができた。その感想は「沢村栄治の球速は?再び」に述べてあるのでご参考ください。

2015.8.22再追記:2015年、遂に公式戦の全力投球映像が発見された。このフォームについては「沢村栄治の球速は再び」の2015.8.22記事をご覧ください。

説明: SAWAMUR1画像:沢村栄治の投球フォーム

 

沢村には「足上げ」がよく似合う

 まず、これは特にキャッチボールの映像と残っているフォロースルーの際の写真で感じたことだが、小関氏が言う通り、沢村の腕の振りは「真っ向上段」でなくスリークォーター気味である。しかしこれは沢村の球が速かった証拠としては全然不利にならない。最速論議に登場する投手には尾崎行雄・森安敏明(フライヤーズ)・江夏豊など、スリークォーターやサイドスローも多い。あるいは後に述べるような理由で思い切り投げていないからかもしれない。

 第2に、体の大変な柔軟さである。足が楽々目の高さまで上がっている。特異体質としか思えない。ホークス時代の別所毅彦は足を高く上げた豪快なピッチングフォームだが、相当に無理をして上げているため、腕のスイングにスムーズにつながっていない(画像。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。)シュートピッチャーとして名を馳せた西本聖投手(元ジャイアンツ−ドラゴンズ)も時に足をあげていたが、足を上げることがスピードを増すことに役立っていない印象だった。昨年(2000年)の日米野球でもライオンズの森投手が足を高く上げてから投げ込んでいたが、あれも足を上げる必然性が感じられないフォームだった。やはり足上げは沢村とボブ・フェラーの専売特許のようである。

説明: BETTSHO2画像:別所毅彦の投球フォーム

 

戦前の投手の画像で思い切り投げているものはほとんどない

 沢村の現存する二つの8mmフィルムは野球史に興味がある人なら大抵見たことがあると思うが、注意すべきはどちらもごく軽く放っていることである。間違ってもこれを本気で投げているフォームと思ってはならない。

 戦前から昭和20年代の投手のフォームを8mmや写真で見る際には次の点には特に注意しなければならないと思う。

 まず第1に、撮影機器の性能が人間の動きについていっていないため、ヤラセの写真が多く存在すること。シャッタースピードが遅いため、腕が鋭く振られたりするともう映らない。当時の写真で腕やバットが消えてしまっている写真も多く存在する。また、望遠レンズが発達していないため、近くで撮ろうとすればブルペンでないといけない。マウンドの映像は豆のような遠景である。沢村の有名な足上げ写真(画像)も実はヤラセで、故藤本定義氏によれば、カメラマンの注文に応じてポーズを取ったため、右腕が不自然に後方に引かれているという。足をあげて投げ込む前述のフィルムでも、沢村はニコニコ笑いながら投げている。あきらかにデモ・テープ用の撮影である。それでもリリースの瞬間には手首から先が消えてしまっている。

説明: SAWAMUR3画像:沢村の「足上げ」写真

 第2に、当時の投手は現在の投手とは比較にならないほど酷使されていたため、相手によっては明らかに手を抜いていること。沢村の例でいえば、2回にわたる米国遠征は強行軍の中で合計200試合近くを行っているが、ジャイアンツはこれをほとんど沢村・スタルヒンをはじめとしたの数人の投手で賄っているのである。こうした中ではたとえ150kmを超える速球を投げる能力があったとしても、実際にそうした速球を投げるのはその必要のある打者に対してだけであったろうことは容易に想像出来る。

 

沢村のフォームは「後ろから投げる」投げ方

 さて、沢村の映像を見た第3の印象は、いわゆる「後ろから投げる」投げ方だ、ということである。この「後ろから投げる」という言い方は400勝の金田正一氏が沢村のピッチングフォームを評して言った言葉である(『別冊宝島プロ野球記録と記憶』)。金田氏は沢村と自分を比較して、自分は「球をできるだけバッター寄りで離そうとした」と言っている。これはいわば「前で投げる」投げ方である。

 この二つの投げ方を筆者なりに解釈すれば、「後ろから投げる」投げ方は、バックスイングに入る前に利き腕の肩を上体ごとぐっと下げ、そこからバックスイングと共に上体を起こしてきてトップに入り、比較的狭いステップで投げ込む投げ方である。バックスイングの前に上体を下げる分、フォロースルーの際にあまり上体が前にかぶさらない。むしろ突っ立った印象である。「元祖フォークボール」の杉下茂氏が「昔の投手は、『投げている途中は左肩越しに、投げ終わったら右肩越しに捕手を見ろ』と教えられてきた。(『連続写真で見るプロ野球 20世紀のベストプレーヤー100人の群像』)」と述べているのは、まさにこの投げ方である。沢村をはじめ別所毅彦、中尾硯志(画像4:元ジャイアンツ。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。)や真田重蔵(元朝日−パシフィック−ロビンスタイガース。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。)など戦前派の速球投手はほとんどこの投げ方をしている。すこし前では江川卓の投げ方が比較的これに近い印象がある。最近の野茂英雄(バファローズ−ドジャース−メッツ−タイガース−レッドソックス)などもだんだんこの投げ方に近くなってきた。

説明: NAKAO画像4:中尾硯志の投球フォーム

 

「前で投げる」稲尾、平松、江夏

 一方の「前で投げる」投げ方は、バックスイングに入る前から両肩が地面に平行で、そのままの姿勢から利き腕を後上方にひねり、比較的広いステップに体を乗せて、できるだけバッター寄りで球を離そうとする投げ方である。フォロースルーの際には上体が大きくかぶさる。現代のピッチャーはほとんどこの投げ方であるが、昔の投手でいえば「鉄腕」稲尾和久(画像:元ライオンズ。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。)、最近では「カミソリシュート」平松政次(元ホエールズ)がこの投げ方である。二人とも「ボールを離す位置が自分で見えた」と回想しているほど前でボールを離していたらしい。ただし、これも二人とも「肩を壊す前は」という但し書きが付くのがおもしろい。江夏などもこちらの投げ方に入るだろう。

説明: 稲尾和久連続画像01画像:稲尾和久の投球フォーム

 

「後ろから投げる」と高めに速い球が投げやすい

 では、この二つの投げ方の長所短所を比較してみよう。まず、「後ろから投げる」投げ方は、体幹(特に腹筋)の力がストレートに球に伝わるから、腕が短い日本人でも速い球を投げやすい。また、腕(特に肘)の動きだけが分離していないから、肩を中心に回すことができ、肘や手首などの繊細な関節を酷使せずにすむ。その反面、よほど体が柔らかくないと一旦目標から目が離れるので、微妙なコントロールがつきにくい。さらに、上体の動きと腕の動きが連動しているからバッターにすればタイミングが取りやすい。昔の野球でどうにも打てそうもない速球投手に「1.2.3で目をつぶって振ったら当たった」という伝説が多く残っているのはこうした理由があるからだろう。ただ、上体と腕の動きが連動しているということは、ことさらに意識しなくても普通に上から投げていれば自然にボールに上向きの回転がかかり、ある程度(筆者のような素人なら130km、速球に慣れた野球選手なら140km)以上のスピードの球はホップする(ように見える)から打ちにくいということでもある。また、投手はバックスイングのトップに入る前に標的に視線を合わせるが、このフォームだとストライクゾーンの高めに視線を合わせたほうが投げやすい。

 

「前で投げる」と球が見えにくい

 逆に「前で投げる」投げ方は、腕を鞭のようにしならせることができるので、球が見えにくい。目標を常に見続けることが出来るので、微妙なコントロールがつきやすい。また、上体の開きより腕が遅れて出てくるので球の出所が見えにくく、タイミングが取りにくい。したがって実際の物理的なスピード以上に速い球と感じる。また、このフォームだとバックスイングのトップの前にストライクゾーンの低めに視線を合わせたほうがボールが投げやすい。ただ、腕が遅れて出てくるということは、シュート回転しやすいということでもある。これは長所でも短所でもあって、前述の稲尾も平松もシュートを得意にするピッチャーであった。逆に直球を投げるときは意識して上向きの回転を与えなければ、伸びのない打ち頃の球になってしまう。

 

速い球を投げるには「後ろから投げる」方が適している

 こうなるとやはり「前で投げる」方が優れているようで、金田氏が「(沢村さんより)ワシの方がいいピッチャーに決まっとる」というのも無理はないところである。しかし、実際に物理的に速いボールを投げるということについてはどうか。

 走者がベースに殺到する間一髪の場面で外野手が全力で送球する場面を想像してほしい。まず100%、「後ろから投げる」投げ方をしているはずである。投手を外野で守らせて同じ場面に遭遇しても、普段の「前で投げる」投げ方を忘れて「後ろから投げる」はずだ。外野手の方が投手より長い距離を投げる必要がある。実際に遠投させてみると(投手は肩を壊すことを恐れるということもあるのだろうが)大抵外野手の方が遠投力があるものだ。イチロー(ブルーウェーブ−マリーンズ)などの強肩外野手が助走をつけて全力送球したときの初速は確実に150km、ひょっとすると160kmを超えていると思う。つまり、「遠くに投げる」「力いっぱい投げる」ためには、「後ろから投げる」投げ方のほうが向いているのである。

 

400勝投手も最初は「後ろから」投げていた

 実際、金田氏も前掲書の中で「あなたが一番球が速かったのはいつごろですか?」と聞かれて「入って間もないころ。20歳くらいかな。そのころは沢村さんと同じように球を後ろから投げていたんだろうね、遠いけど」と言っている。そして、「入ったころの金田」を最速投手に推す人も多いのである。本当かな、と半信半疑だったのだが、『巨人軍物語』というビデオで見たルーキー金田正一(画像。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。)は確かに「後ろから」投げていて、後年の「前で投げる」フォーム(画像)とは明らかに違う。上下の写真の1コマ目に注目してほしい。どちらも金田投手が標的に視線を合わせているが、上は高め、下は低めに視線を合わせている。

説明: image009画像:金田正一のルーキー時代

説明: image010画像:金田正一の全盛時代

 

「後ろから投げる」投手がいなくなったのはなぜか?

 では、なぜ「後ろから投げる」ピッチャーはいなくなってしまったのだろうか。一つはバッティング技術の発達で「速さ」にプラスして「球の出所が見えにくい」「タイミングが取りにくい」ピッチャーでなければ通用しなくなったことが挙げられるかも知れない。しかし、最大の要因はストライクゾーンが低めに狭くなったことだと思う。戦前はもちろん、戦後も筆者が小学生くらいまではストライクゾーンは「腋の下から膝頭まで」と言われ、野球規則にほぼ沿ったものだった。実際川上哲治(画像:元ジャイアンツ。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。)や大下弘(画像:元セネタース−フライヤーズ−ライオンズ。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。)が肩の辺りのボールをホームランしたり空振りしたりする映像が残っている(ビデオ『我らが西鉄ライオンズ』)が、別にボール球に手を出している訳ではなく、その当時はそこがストライクだったのである。ところが現在、「高目」と言えば、せいぜいベルト当たりで、昔で言えば「ど真ん中」である。各球団のコーチが口を酸っぱくして「低めに投げろ、低めに投げろ」というのも無理はない。これでは高目に投げやすい「後ろから」投げる投手が絶滅寸前なのもやむをえないだろう。

 現在の野球の打撃優位は、技術の向上以外に、ストライクゾーンの問題が大きいように思う。いくら現代の投手が多彩な変化球を身につけていても、低めを待っているバッターに低めしか投げられないのでは、サインを半分以上盗まれているのと同じである。 また、「飛ぶ球」の問題もあるだろう。高めに入ってくる球は必ずしも芯に当たらなくてもホームランになりやすい。確率重視の現代野球では、「高め」に投げてバッターを空振りさせる投手よりも、低めで内野ゴロを打たせる投手のほうが「有能」である。

説明: 川上哲治連続写真01画像:高目の球を打つ川上哲治

説明: OHSHITA画像:高目の球を打つ大下弘

 

外野手兼業投手が通用しなくなったのは?

 これは強肩の外野手がいきなりマウンドに上がっても通用しなくなった理由でもある。昔の野球では呉昌征(元ジャイアンツ−タイガース−オリオンズ)のように外野手がノーヒットノーランをやってしまったりして、それがたまらなく楽しいのだが、これは昔の野球のレベルが低かったことだけが理由ではないと思う。外野手は目標が遠方だから投手よりもっと「後ろから」投げなければならない。外野手の投げ方でマウンドから投げたらバッターの頭の高さくらいが一番標的がつけやすいはずで、フォームもそれに合わせたものになるから、ストライクゾーンの低めの球は完全に「死に球」である。強肩で有名な新庄剛(タイガース−メッツ)がピッチャーに挑戦したとき、意外にスピードが出なかったのはこうしたわけだと筆者は考えている。つまり、かつては未分化であった投手と野手の投げ方が、現在ではひとキャンプ位の時間ではマスター出来ないくらいに分化した、ということである。画像は呉昌征。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。

説明: 呉昌征01

 

「前で投げる」のは速い球を投げるためではない

 今の投手の「前で投げる」フォームからすると、沢村など昔の投手の「後ろから投げる」フォームは不合理で、「こんなフォームで150kmなんて」と映るが、実は「前で投げる」フォームは、より速い球を投げるために発達したフォームではなく、低くなったストライクゾーンに威力のある球を投げるためと、微妙なコントロールを付けるため、また、タイミングの取りにくい球を投げるため、発達してきたフォームなのだ、ということが分かっていただけただろうか。

 結局、昔の投手のフォームについて筆者が言えることは、素人くさい、外野くさいフォームの方が速い球を投げるには適している、ということである。

 

無理やり「前で投げる」藤田、山口、野茂

 余談だが、「後ろから投げる」フォームと見せながら、ステップを広く取ってリリースの瞬間に強靭な上体の力で押さえ込んで無理やりボールを「前で投げ」ていた投手が、筆者の知る限りで3人いる。一人は元ジャイアンツの藤田元司(画像。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。)、元ブレーブスの山口高志、バファローズ時代の野茂英雄の3人である。もっとも山口の場合はバックスイングの時にあまりにも右肩が下がっていたために押さえ込めずに球が高く行っていたが。この3人のような真似が出来たら今まで述べてきた二種類のフォームの長所を両方得られるわけだ。しかし、前の2人に共通していることは全盛期が短かったことだ。藤田・山口両投手ともに腰を痛めたことで選手寿命を短くした。藤田氏は腰の骨が擦り減ってしまってあぐらもかけないそうである。野茂も次第に上体を強引に押さえ込むことをせずに「後ろから投げる」フォームに変化しつつあり、それと同時に勝てなくなっている(それだけが理由ではないだろうが)。今シーズン(2001年)から大リーグのストライクゾーンが規則どおりになるそうだから、高目への伸びのある速球と低めへのフォークボールをより有効に使えるようになった野茂が復活出来るかもしれない。

※この原稿を書いたのは2001.2.20頃だが、2001年のシーズン、野茂は何と自身二度目のノーヒットノーランで見事に復活してしまった。

その後2002年のシーズンから日本プロ野球でもストライクゾーンが規則どおりになったが、この10年でいつの間にかまた低いストライクゾーンに戻ってしまった(2011年現在)

説明: image013画像:藤田元司のフォーム

 

オリンピックは本当に「日進月歩」か? 

最後に、スワローズ古田捕手に代表される「オリンピックは日進月歩、昔の野球の方が優れているんだったら野球だけが進歩していないことになる」という意見について。これは非常に説得力のある議論で、まあ90%は妥当だろう。オリンピックが日進月歩であるように、今の野球の方がレベルが上だということは筆者も認める。

 たしかにオリンピックの記録は沢村投手が活躍した1930年代から向上しなかったものはないといってよい。そういう意味ではまさに日進月歩である。問題はその進歩の仕方だ。どの競技も一直線に記録が伸びてきた訳ではない。何かのきっかけの度に記録が伸び、現在でも伸び続けている競技がある。棒高跳びなどはこれに属するだろう。特に使う道具の質に依存する競技はこの傾向があり、新しい道具が開発される度に飛躍的に記録が伸びる(表の青線)。こうした種類の記録の向上をそのまま投手の球速に当てはめるならば、沢村時代の世界最速のピッチャーでも80km台の球しか投げていないことになってしまう。

 

単純な競技の記録は意外に伸びていない

 一方で、早くから記録が人間の限界に近いところまで行ってしまい、その後の伸びは微々たるもの、という競技もある(表の赤線)。たとえば100m走などは1932年に吉岡隆嘉が103の日本記録(これは当時の世界記録でもある)を出して以来、現在でも日本記録は10秒台でしかない。体力勝負の単純な競技ほどこの傾向が強い。(世界記録はすでに9秒8台まで行っているが、この進歩は人種枠の拡大−黒人の参加と、摘発といたちごっこを続けるドーピングによるものが大きいのではないだろうか。)こちらも時速に換算して現在最速の伊良部英輝(マリーンズ−ヤンキース−ダイヤモンドバックス)の159kmとの比に直してみると、当時の最速は155kmと出る。

  では、野球のボールを投げる、という行為は、もちろん1930年代よりは進歩してきたにしても、どちらの競技に近い性質をもっているのだろうか。

 

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    2000 1990 1980 1970 1960 1950 1940 1930 1920 1910 1900年代

    表:現代を100としたときの昔の記録

 

「火の玉投手」は球速120km

 オリンピックで物を投げる競技と言えば、やり投げと砲丸投げ、円盤投げくらいだろうか。これらの競技で沢村時代と現代の比較をしてみると、残念ながら昔の野球に不利な結果が出る。これらの競技の当時と現代の記録の比を投手の球速に当てはめると、当時の投手の球速は120km前後、ということになる。世界記録でこれである。つまり、「火の玉投手」ボブ・フェラーでさえ球速120km。それより実績で劣る「鉄砲弾とどっちが速いかな」と言われた沢村は110kmくらいだろうか。当時のプロ野球人の目には蒸気機関車でもロケットのように速く映っていたのだろうか。つまり、ど素人の筆者でもタイムマシンで当時に行けば、ベーブ・ルース(元レッドソックス−ヤンキース−ブレーブス)もゲーリッグ(元ヤンキース)もきりきり舞いというわけだ。確かに昔の野球の魅力は「自分もあの中に入ってやれるのではないか」という部分にもあるのだが、これはありえない。コイル方式の速度測定器で測ったフェラーの球速は5球の平均が159km/hであり、この機械と原理的に同じものが現在でもスピード違反の取り締まりに使われているが、ドップラー式のスピードガンよりよほど誤差が少ないのである。昔の機械とはいえ、40km/hも誤差が出ることはありえない。

 ここで一つのヒントになるのが、先ほどフォームの話でも出てきた外野手の遠投力である。ボールを遠くに投げるための要素は投げる角度とボールをリリースする際の初速、後一つはボールの回転である。この3つがそろった時に初めて遠くに投げられる。前述したようにそう単純ではないのだが、遠くに投げられる者は速い球を投げられる。少なくともその必要条件は持っている。

 

外野手の遠投力は昔の方が上かもしれない

 今、筆者の手元に、『日本プロ野球歴代名選手名鑑』という子供向けの古い本がある。景浦将(タイガース)といえば沢村のライバルで戦前最高のバッターとして名高く、また時にプレートを踏んで最優秀防御率に輝いたこともある名選手だが、この本の彼の項に驚くべき記述がある。「東西対抗の試合前、遠投の競技が行われたとき、彼は144メートル投げ2位以下を大きく引きはなしたこともあった。」筆者はこのくだりを読んだとき目を疑った。144m!。イチローだって新庄だって144m投げられるだろうか。これが事実なら外野手の遠投力については今より昔にピークがあって現在は衰退しているとしか思えない。文部省の調査では小中学生のソフトボール投げに関して10年前よりはっきりと記録が低下しているそうである。この本はとにかく誤植の多い本で、「イニング」を「イニグン」と書いてあったりするのはザラだから、114mの間違いかな、とも思ったが、青田昇氏によれば、「戦前の遠投競争の予選通過ラインは115mだった(『サムライたちのプロ野球』)」というから、114mでは景浦は予選も通過出来ないことになる。あるいは現代のプロ野球選手達は160mくらいは楽に投げられるのだが、遊びで肩を壊すのはプロ意識に欠けるということで自重しているのかもしれない。画像は投手としても活躍した影浦将。動画を見たい方は「動画日本野球殿堂」にアップしてあります。

2015年、沢村栄治の試合中の映像と共に景浦将の試合中の投球映像も発見された。コントロール重視のサイドスローで、全力投球していない。144mの遠投力はあっても投手の技術としては活かされていなかったことが分かった。

説明: 影浦将01

 

沢村が150km台で投げても別に不思議ではない

 以上のことから考えれば、沢村が150kmを超える豪速球を投げていても別に不思議はない。当時の登板条件などを考えれば、「常時150km」などということはありえないと思うが。沢村が景浦やディマジオ(米国遠征のときにマイナー時代の彼と対戦しているそうである)相手に全力投球しているフィルムが米国あたりに残っていないかなと期待している。ただ、沢村が史上最高の投手かどうかについては、現代野球の信奉者の目とは別な、「昔の野球ファン」の目からの疑問があるので、興味のある人は特集2:「史上最高の投手は誰か?」をお読みください。

※沢村の試合での全力投球映像が発見され、2015年現在筆者はこの説をいっそう確信するようになっている。詳しいことは一回裏「沢村栄治の球速は?再び」にお進みください。

 

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