7TH INNING STRETCH

:すごい奴らがやって来た!

-昭和9年全米軍の横顔-2008.11.3更新

 

[来日全メンバー]

       監督:コニー・マック(アスレチックス)

       投手:カスカレラ(アスレチックス)、ゴーメッツ(ヤンキース)、ブラウン(インディアンス)、ホワイトヒル(セネタース)

       捕手:バーグ(セネタース)、ヘイズ(アスレチックス)

       内野手:ウォストラー(アスレチックス)、ゲーリッグ(ヤンキース)、ゲーリンジャー(タイガース)、フォックス(アスレチックス)、マクネア(アスレチックス)

       外野手:エビレル(インディアンス)、ミラー(アスレチックス)、ルース(ヤンキース)

       マネジャー:オドール(ジャイアンツ)

 

[来日全成績]

第 1戦:17-1 対東京倶楽部 ○ホワイトヒル●高橋一

第 2戦:5-1  対全日本      ○カスカレラ  ●伊達正男

第 3戦:5-2  対全日本      ○ゴーメッツ  ●青柴憲一

第 4戦:7-0   対全日本    ○ホワイトヒル●武田可一

第 5戦:10-0 対全日本         ○ゴーメッツ   ●沢村栄治

第 6戦:混合紅白戦

第 7戦:140対全日本         ○ホワイトヒル●水原茂

第 8戦:15-6 対全日本         ○カスカレラ ●浜崎真二

第 9戦:21-4 対全日本         ○ゴーメッツ   ●青柴憲一

10戦:1-0    対全日本       ○ホワイトヒル●沢村栄治

11戦:6-5  対全日本          ○カスカレラ ●伊達正男

12戦:6-2  対全日本         ○ゴーメッツ ●武田可一

13戦:15-3 対全日本         ○ホワイトヒル●伊達正男

14戦:混合紅白戦

15戦:8-1  対全日本         ○カスカレラ ●浜崎真二

16戦:14-1  対全日本        ○ゴーメッツ   ●沢村栄治

17戦:23-5 対全日本         ○ホワイトヒル●武田可一

18戦:14-5 対全日本    ○ブラウン  ●沢村栄治       

 

[選手たちの横顔]

      通算189勝!「弾丸投手」レフティ・ゴーメッツ

  

登録名:Lefty Gomez ニックネーム:弾丸投手 在籍:ヤンキース1930-42.セネタース43 身長:188cm 体重:78kg 投打:左左

賞:野球殿堂入り、最多勝2回、最優秀防御率2回、最多奪三振3回、オールスター出場7回 通算勝利:189102敗 通算防御率:3.34 

横顔:野球殿堂入りの大投手。レフティ・グローブ(アスレチックス)のスモークボール(煙球)を超える弾丸球といわれた。大リーガーの登録名はその時点で既にニックネームが多いのだが(レフティは左利きの意)、さらに野球技術や体力を示唆する別名がつくところにその選手の偉大さがある。ワールドシリーズでの通算60敗は燦然と輝く。これだけの実績を持ちながら通算勝利が200を超えていないのは足を高々と上げて真っ向から投げ込むフォームのせいか。沢村の速球を目の当たりにした後でも全日本の打者にとって「弾丸球」は未知の速さだったらしく、第5戦では2安打で18三振を奪われている。ゴーメッツは沢村について、「スピードもあり、カーブの切れもいいのに、力任せに投げてきて、力をセーブすることを知らない」と評している。米国ではここがマイナーとメジャーの分かれ目になるのだ。しかし、当時全米最速投手の目にもやはり沢村の球は速く映ったようだ。

 

      実は大投手!「14歳でプロ入り」アール・ホワイトヒル

  

登録名:Earl Whitehill  ニックネーム:調査中 在籍:タイガース1923-32.セネタース33-36.インディアンス37-38.カブス39 身長:177cm 体重:78kg 投打:左左

賞:なし 通算勝利:218185敗 通算防御率:4.36 

横顔:故刈田久徳氏(ジャイアンツ-セネタース他:通算打率.218)に「打ちやすかった」などと言われてしまっているが、実はゴーメッツより多い218勝した大投手。ただし賞には一切無縁。「前年14勝した有望投手」などと、あたかも発展途上の若手投手だったように表現してある日本語資料も多いが、実際には既に選手生活晩年。なぜなら、14歳でプロ入りしているからだ。このあたり、名古屋軍の養成選手だった西沢道夫を思わせる。ホワイトヒルの沢村評は調査中である。

 

      100勝が遠かった!「左のアンダースロー」ロイド・ブラウン

  

登録名:Lioyd Brown ニックネーム:調査中 在籍:セネタース28-32.ブラウンズ・レッドソックス33.インディアンス33-37 身長:175cm 体重:77kg 投打:左左

賞:なし 通算勝利:91105敗 通算防御率:4.20

横顔:1930-323年連続15勝以上したほかは一桁の勝ち星を細々と続けた投手。今までに目を通した日本語の資料には「下手投げ」であったということ以外一切触れられていない。英語の資料でやっと左投手であったことが分かったくらいだ。アンダースローといえば死球が文字通り「死球」になってしまった大リーグ史上唯一の投手カール・メイズが有名だが、忌まわしい事件の後もこの投法の投手がいたことだけは証明された。来日したのはホワイトヒル同様選手生活晩年。ブラウンの沢村評は調査中である。

 

      デビュー年のみの輝き?「自分の頭のハエを追え」ジョー・カスカレラ

登録名:Joe Cascarella ニックネーム:調査中 在籍:アスレチックス1934-35.レッドソックス35-36.セネタース36-37.レッズ37-38 身長:調査中 体重:80kg 投打:右右

賞:なし 通算勝利:2748敗 通算防御率:4.84

横顔:二桁勝利は来日した昭和9年(12勝)のみ。この年メジャーデビュー。後は各チームを転々として4年間27勝で消えた。沢村の草薙球場での快投よりよほど勝ち目があったといわれる第11戦の全米軍投手はカスカレラ、第8戦で全米軍投手最多の6失点もカスカレラ。日米混合紅白戦でもボカスカ打たれて負け投手になっている。それでも沢村はじめ日本投手陣に「チェンジ・オブ・ペースの研究が足りない」と指摘している。全米軍のマネジャー、オドールは、「米国は子供でも自分がコーチであるかのように何でも知っているような顔をする」と嘆いているが、その典型であろう。彼自身の「チェンジ・オブ・ペースの研究」とやらが十分だったらその後のていたらくはなかったはずだからだ。

 

      野球は上の空?「日米野球に来たスパイ」モー・バーグ

  

登録名:Moe Berg ニックネーム:調査中 在籍:ホワイトソックス1923-30.インディアンス31.セネタース32-34.インディアンス34.レッドソックス35-39 身長:186cm 体重:84kg 投打: 右右

賞:なし 通算打率:.243 通算本塁打:6 通算打点:206

横顔:プリンストン大など4つの大学に通い、20ケ国語に通じた大リーグきってのインテリ。生き馬の目を抜く大リーグで捕手として長く生き抜き、来日時には油の乗り盛りのはずなのに、試合にはほとんど出ず、しかもベンチにすらいない試合があったという。このバーグ、なんとドイツの核科学者を探れというスパイ使命書が残っている。http://www/sethsroom.com/letters5.htm。日本でもおそらく野球そっちのけでスパイ活動に励んでいたのだろう。バーグの撮影した写真は米軍の日本初空襲に役立ったという。バーグの沢村評は…、あるわけないか。

 

      オールスター出場5回!「未来の大スター日本で見習中」フランキー・ヘイズ

  

登録名:Frankie Hayes ニックネーム:調査中 在籍:アスレチックス1933-42.ブラウンズ42-43.アスレチックス44-45.インディアンス45-46.レッドソックス47 身長:183cm 体重:84kg 投打:右右

賞:オールスター出場5回 通算打率.259 通算本塁打:119 通算打点:628

横顔:来日した昭和9年はメジャーに上がったばかりの19歳。昭和6年全米軍と昭和9年全米軍の比較で問題となるのがキャッチャーで、6年を最強とする論者は前者のチームにはミッキー・カクレン(アスレチックス)がいたが後者の捕手は無名のヘイズ、チームの要の違いだ主張する(と現在の話のように書いたが実は70年前の話)。だが、カクレンには及ばないものの、ヘイズもなかなかの名捕手。オールスター5回出場という実績が彼の実力と人気を物語る。その後米国では傍流になっていく「守備型」の捕手としては一流だったらしい。ヘイズの沢村評は調査中。

 

      本当に大リーガー?「日米戦にしか名前のない男」ラビット・ウォストラー

登録名:Rabbit Warstler ニックネーム:調査中 在籍:レッドソックス1930-33.アスレチックス1934-36.ボストン・ビーズ1937-40.カブス1940 身長:171cm 体重:68kg 投打:右右

賞:なし 通算打率:.229 通算本塁打:11 通算打点:332

横顔:ネットで検索してもどんな選手かさっぱりわからなかったのはこの選手だけだったが、爺々夢斎さんから情報をいただいてやっと判明した。曲りなりにもビッグリーグの10年選手。来日の年にはアスレチックスで打率.236本塁打1打点56盗塁9を記録している。遊撃・二塁・三塁をこなし生涯守備率.095を超えているから守備に見るべきものがあったのだろう。それでも第5戦、沢村からホームランを放っている。もちろん沢村評はわからない。

 

      2130試合連続出場!「鉄の馬」ルー・ゲーリッグ

  

登録名:Lou Gehrig ニックネーム:アイアンホース(鉄の馬) 在籍:ヤンキース1923-39 身長:185cm 体重:94kg 投打:左左

賞:野球殿堂入り、MVP2回、首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回 オールスター出場7回 通算打率:.340 通算本塁打:493 通算打点:1990 通算盗塁:102

横顔:貧しいドイツ移民の両親の期待を背負って進学したコロンビア大学を中退、ヤンキース入り。その生涯は映画『打撃王』に詳しい。『打撃王』によればプロ入りは母親の治療費を稼ぐためだったらしい。もちろん何よりも野球が好き、というのが前提にあったのだろうが。ここにも「サワムラ」がいる。プロ入りしてからの活躍は言い尽くされている。全身の運動神経が死んでいく難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に冒され、無念の引退。2年後に死去。米国ではALSはルー・ゲーリッグ病(Lou Gehrigs disease)と呼ばれている。普通病気の名前には症状を表す言葉か発見者の名前がつくもの。患者の名前がついているところに、ゲーリッグを忘れまいとする米国人の追慕の念が表れていて胸を打つ。ゲーリッグは伊達正男(市岡中-早稲田大-大阪倶楽部)がお気に入りで、米国に来ないかと直接誘っているくらいだが、第8戦について、「疲れていた伊達に代えて沢村を出すべきだった」と言っているから、同等の投手として評価していたことが分かる。

 

      314回!「精密機械」チャーリー・ゲーリンジャー

  

登録名:Charlie Gehringer ニックネーム:ザ・メカニカルマン(精密機械) 在籍:タイガース1924-42 身長:180cm 体重:82kg 投打:右左

賞:野球殿堂入り、MVP1回、首位打者1回、盗塁王1回、オールスター出場6回 通算打率:.320 通算本塁打:184 通算打点:1427 通算盗塁:182

横顔:これもゲーリッグ同様ドイツ系が分かる名前。開幕日に「ハロー」と言ってやってきて閉幕日に「グッバイ」と言って帰っていく、といわれたほど無口だったが、実績が彼の実力を雄弁に物語る。(こんな選手いなくなったよなあ。アングロサクソンや昔の日本の男の理想像なんだが。今の日本人はイタリア系だもんな。)打率3割が実に14回。ワールドシリーズにも3回出場。だが、日本への最大の置き土産は守備。当時の日本選手は目を皿のようにしてゲーリンジャーを見つめ、その全てを吸収しようとした。「難しいゴロが中前に抜けようとする。ベースの後ろで追いつき、軽く一塁にスナップ・スローすると、日本の走者が楽々とアウトになってしまう。あれには驚いた。」(三原脩:高松中-早稲田大-ジャイアンツ選手、ライオンズ他監督)という賛嘆の声に彼のプレー振りが目に見えるようだ。ゲーリンジャーの沢村評…そんなに無口じゃ、ないだろうな。一応調査中。

2005.4.5Kenichi様から貴重な情報をいただいた。ゲーリンジャーは晩年にいたるまで沢村のことを「あんなに速い球を投げる投手はいなかった」と家族に話していたという。無口な男の本音。ゲーリンジャーの親族が沢村のモニュメントを作りたいという希望を持っているそうである。

 

      600フィート本塁打!「野獣」ジミー・フォックス

  

登録名:Jimmie Foxx ニックネーム:ザ・ビースト(野獣) 在籍:アスレチックス1925-35.レッドソックス36-42.カブス42.44.フィリーズ45 身長:183cm 体重:88kg 投打:右右

賞:野球殿堂入り、MVP3回、首位打者2回、本塁打王4回、打点王3回、三冠王1回、オールスター出場9回 通算打率:.325 通算本塁打:534 通算打点:1921 通算盗塁:88

横顔:シカゴ・オールド・コミスキー球場での二階席を超えた場外本塁打は非公式ながら推定600フィート(約182m)!その凄まじいパワーについたあだ名はザ・ビースト(野獣)。まだ筋力増強剤などない時代に通算534本塁打はマグ某の比ではない。米国史上最強の右打者だろう。だが、気のいい男で誰からも好かれたという。実はルースと同数のシーズン60本塁打を放ちながら2試合が雨で流れて58本塁打に終わったり、僅か3厘差で3冠王を逃したり、肉を喉に詰まらせて亡くなったり…。「神様は残酷なことをする」(2000年ホークス藤井投手逝去の際の王貞治監督のコメント)という言葉が脳裏をよぎる。

 

      進塁打率.318!「勝負強い遊撃」エリック・マクネアー

     

登録名:Eric McNair ニックネーム:ラビット(ウサギ) 在籍:アスレチックス1929-35.レッドソックス36-38.ホワイトソックス39-40.タイガース41-42.アスレチックス42 身長:173cm 体重:72kg 投打:右右

賞:なし 通算打率:.274 通算本塁打:82 通算打点:633 通算盗塁:59

横顔:来日の1934年失策数がリーグ最低、併殺数が最高、通算打率.274だから基本的には守備の人だが、32年には打点が95、打率.285に対して進塁打率が.323。通算進塁打率が.318だから、守備能力が重要視されるショートストップとしては異常に勝負強かったことが分かる。本塁打はシーズン最高18本。「ここでどうにかしてくれ!」というときにはしぶとく野手の間を抜いていたのだろう。ここでいう進塁打率(On-Base Percentage)についてはhttp://www.thebaseballpage.com/stats/classroom.htm参照。日本でいえば吉田義男(山城高-立命館大-タイガース)だろうか。マクネアーの沢村評は調査中。

 

      2000本安打達成!「実は殿堂入り」アール・エビレル

  

登録名:Earl Averill ニックネーム:調査中 在籍:インディアンス1929-39.タイガース39-40.ブレーブス41 身長:177cm 体重:77kg 投打:右左

賞:野球殿堂入り、オールスター出場6回 通算打率:.318 通算本塁打:238 通算打点:1164 通算盗塁:70

横顔:来日メンバーの中で日本人に不当に低い評価をされているのがこの人。打撃タイトルはないもののオールスター出場6回。打撃成績も申し分ない殿堂入り選手。にもかかわらず、日本の文献では常に「沢村は殿堂入りのゲーリンジャー、ゲーリッグ、ルース、フォックスから云々」と無視され、ひどいのになると来日メンバーの殿堂入り選手の記述に入っていない。この低評価の原因はただ一つ、あの草薙の試合で沢村から三振を喫しなかったからだ。三振していれば他の4人とともに「殿堂入りの5人から三振」と語り継がれたのに。こういう人っているよね。エビレルの沢村評は調査中だがおそらく見つかるまい。

 

      通算打率.311!「無冠の安打製造機」ビング・ミラー

  

登録名:Bing Miller ニックネーム:調査中 在籍:セネタース1921.アスレチックス22-26.ブラウンズ26-27.アスレチックス28-34.レッドソックス35-36 身長:183cm 体重:84kg 投打:右右

賞:なし 通算打率:.311 通算本塁打:116 通算打点:990 通算盗塁:127

横顔:大リーグ生活16年で打率3割以上が9回、通算1934安打を放ち、1924年には.342を記録したが、タイトルとは遂に無縁だった。来日したのは選手生活晩年で打率も.243、それでも全米軍に選ばれたのはほとんどのシーズンに.970をオーバーした守備力のゆえだろう(当時のチャチなグラブを考えれば十分「堅実」)。草薙球場で沢村が快投し0-1で迎えた第10戦の9回表、二死走者二、三塁の勝ち越しのチャンスに、水原茂(高松中-慶応大-ジャイアンツ選手)の放ったライト線ぎりぎりの打球をシングルキャッチして全日本の初勝利の野望を打ち砕いたのはほかならぬこのミラーである。通算安打から考えて、もし昭和9年全米軍メンバーが次に殿堂入りするとしたら、このミラーかホワイトヒルだろう。ミラーの沢村評は調査中である。

 

      不滅の756本塁打!「球聖」ベーブ・ルース

  

登録名:Babe Ruth ニックネーム:球聖 在籍:レッドソックス1914-19.ヤンキース20-34.ブレーブス35 身長:188cm 体重:99kg 投打:左左

賞:野球殿堂入り、MVP1回、首位打者1回、本塁打王12回、打点王6回 通算打率.342 通算本塁打714 通算打点2211 通算盗塁123 通算勝利8946敗 防御率2.28

横顔:いわずと知れた世紀のホームラン王。矯導院の不良少年から合衆国大統領より高給取りになった立身出世はアメリカンドリームそのもの。来日は選手生活晩年。それでも日本の繰り出す各投手を打ちまくった。「竹馬に乗った卵」といわれた体型はレベルの低い昔の野球ゆえかと思っていたが、筋力増強剤が蔓延し、ルースによく似た体型のホームランバッターが次々と登場してはじめて、体質的に現在の「ヤク漬け選手」と同じものがあったのだなと思い当たった。現在の選手が体外から取り入れるホルモンが脳から内分泌されていたのだろう。このテのホルモンは分泌量が多すぎれば「病気」、人よりちょっぴり多ければ「天才」、適量なら「凡人」、体外から取り込んだら「犯罪」または「依存症」である。彼の数々の問題行動もこう考えれば合点が行く。ルースは沢村について、「試合を重ねるごとにだんだんうまくなる…」と言っているが、その言葉どおり沢村はスクールボーイから日本のエースへと脱皮を遂げていくのである。

 

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