戦没野球人慰霊
2017.8.12[野口昇の情報を訂正]
戦後日本野球繁栄の礎となり、戦場に散華した野球人をここに慰霊する。また、戦火により命を落とした他国人にも同じ野球人として弔意を捧げる。
[個人]
氏名 |
よみがな |
経歴 |
戦没年月日 年齢 |
戦没場所・状況 |
寸評 |
沢村栄治 |
さわむら えいじ |
京都商-ジャイアンツ・巨人 |
昭和19年 12月2日午前4時30分 27歳 |
台湾沖(東経128度17分北緯30度27分)で輸送船が雷撃されて沈没 |
昭和8年春甲子園ベスト8、9年春夏甲子園出場の際の投手。昭和8・9年春優秀選手賞。昭和9年春対京都師範戦で全員奪三振。 |
青木勤 |
あおき つとむ |
藤岡中-阪急 |
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アマチュア時代の戦績は調査中。 |
青柴憲一 |
あおしば けんいち |
立命館大-全日本・ジャイアンツ・巨人-大連実業 |
昭和20年 |
平壌第一陸軍病院で戦病死 |
大学時代は沢村が目標にした速球派。昭和7年全国高専野球大会で法政大予科を破り優勝。翌8年はベスト4。打者としても非凡なものがあった。沢村栄治雑学図鑑参照。 |
浅原昌治 |
あさはら しょうじ |
京城中-一高-東京帝国大 |
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経歴は調査中。 |
東 武雄 |
あずま たけお |
天王寺中-一高-東京帝国大 |
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大正14年東京帝大の六大学リーグ加盟時の投手。帝大が加盟できたのは東の力投のおかげであった。昭和2年春対立教大戦でノーヒットノーラン(現在まで東大選手唯一の記録)。 |
阿瀬泰次郎 |
あぜ やすじろう |
和歌山海南中-明治大 |
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昭和9年春甲子園ベスト4の際の中堅手。9年夏出場の際の右翼手。10年春出場の際の三塁手。 |
渥美吉男 |
あつみ よしお |
浜松商 |
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浜松商昭和16年卒業。実績は調査中。 |
阿部正 |
あべ ただし |
一関中 |
昭和18年 |
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昭和15年東北大会進出の際の投手。昭和16年甲子園大会中止の際にも野球の再開を信じ、講堂の2階に野球用具を隠すが、戦後その用具を用いたのは本人ではなかった。 |
阿部哲哉 |
あべ てつや |
栃木中-立教大 |
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経歴は調査中。 |
阿部利明 |
あべ としあき |
栃木中-立教大 |
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経歴は調査中。 |
天川清三郎 |
あまかわ せいざぶろう |
平安中-南海 |
昭和19年 10月26日 |
フィリピン・レイテ島カトモン山で頭部貫通銃創で戦死。 |
昭和11年春甲子園ベスト4の際の中堅手。12年春ベスト8、12年夏甲子園出場の際の一塁手。13年春甲子園出場の際の投手。13年夏の甲子園で優勝投手。写真は13年夏決勝で9回裏逆転サヨナラ勝ちし、手を叩きながらホームインする天川。 |
天野安市 |
あまの やすいち |
一宮中 |
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経歴は調査中。 |
荒井和男 |
あらい かずお |
早稲田中-立教大 |
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経歴は調査中。 |
荒木政公 |
あらき まさきみ |
長崎海星中-門司鉄道局-阪急 |
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満ソ国境で戦病死 |
昭和13年度ジャイアンツの獲得選手候補1は吉原正喜を抑えてこの荒木だった。都市対抗こそ八幡製鉄に破れ出場できなかったものの、好投手だったことがわかる。結局阪急入り。昭和14年度職業野球リーグ戦で防御率第3位。 |
飯塚勝一 |
いいづか かついち |
下妻中-慶応大 |
昭和19年12月4日 |
屋久島西方海上で戦死。 |
昭和8年慶大入学。投手。 |
飯島建男 |
いいじま たてお |
諏訪蚕糸-慶応大 |
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昭和13年慶大入学。一塁手。 |
池田一夫 |
いけだ かずお |
東邦商-法政大 |
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法政大昭和16年度優勝の際のメンバー。 |
池田久之 |
いけだ ひさゆき |
長崎商-阪急 |
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アマチュア時代の戦績は調査中。 |
石井利一 |
いしい としいち |
本牧中-法政大 |
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経歴は調査中。 |
石井豊 |
いしい ゆたか |
中京商-セネタース・翼・大洋 |
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昭和12年春甲子園準優勝、12年夏優勝13年春優勝、14年春ベスト4の際の一塁手。13年春甲子園で優秀選手賞。14年春優秀選手賞・美技賞。 |
石田虎雄 |
いしだ とらお |
臼杵中 |
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昭和9・10年夏甲子園大分県予選出場の際の投手。 |
石原繁三 |
いしはらしげぞう |
川越中-遠野中-セネタース・翼-黒鷲・大和 |
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戦地から帰還して三日後に倒れ、死亡。 |
昭和7年夏甲子園出場の際の投手。 |
石丸進一 |
いしまる しんいち |
佐賀商-名古屋 |
昭和20年 5月11日 |
法政大出の本田耕一少尉と「最後のキャッチボール」をした後、海軍特別攻撃隊として沖縄方面で特攻死 |
昭和14年夏の甲子園佐賀県予選で準優勝。北九州大会に出場するも1回戦敗退。昭和15年夏は県予選1回戦敗退。昭和16年夏の記録はない佐賀では予選中止になったのか。 |
板倉 造 |
いたくら つくる |
大社中 |
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経歴は調査中。 |
市川清美 |
いちかわ きよみ |
岐阜商 |
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岐阜商昭和8年春甲子園優勝、9年春出場、10年春優勝、11年春出場・11年夏優勝の際のマネジャー。 |
伊東甚吉 |
いとう じんきち |
滝川中-阪急 |
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昭和11年春甲子園ベスト8、12年春出場・夏ベスト4、13年春出場の際の二塁手。 |
伊藤健太郎 |
いとう けんたろう |
千葉中-東京鉄道局-ジャイアンツ・巨人 |
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昭和19年7月26日、グアム島マンガン山で戦死 |
昭和7年夏甲子園出場の際の左翼手。東京鉄道局の藤本定義監督とともにジャイアンツ入りした強打者。 |
今橋整一郎 |
いまばし せいいちろう |
大阪商大 |
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経歴は調査中。 |
上田正 |
うえだ ただし |
広島松本商-広島専売局-タイガース・阪神 |
昭和19年 |
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アマチュア時代の戦績は調査中。外野手。タイガース入団の昭和12年春7試合に出場し、.500の打率を残したがすぐ召集され、3年後除隊復帰するも再度召集、戦死。 |
上田幸正 |
うえだ ゆきまさ |
同志社高商 |
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昭和15年入学。 |
上村直 |
うえむら ただし |
熊本工 |
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昭和12年夏甲子園準優勝の際の三塁手。 |
内山孝 |
うちやま たかし |
海南中-法政大 |
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経歴は調査中。 |
梅崎作太郎 |
うめざき さくたろう |
秋田中 |
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昭和6・7・8・9年夏甲子園4年連続出場の際の投手。9年にはベスト4。 |
梅垣昌 |
うめがき まさし |
同志社高商 |
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昭和13年入学。 |
宇山貞男 |
うやま さだお |
嘉義農林-法政大 |
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経歴は調査中。 |
江口行雄 |
えぐち ゆきお |
享栄商-ジャイアンツ-金鯱-阪急 |
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戦争で身体を壊し、戦後病死。 |
昭和8年春甲子園ベスト8の際の一塁手。 |
遠藤忠二郎 |
えんどう ちゅうじろう |
浜松一中-早稲田大-大東京・ライオン-セネタース |
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アマチュア時代の戦績は調査中。投手と外野の二足のわらじで昭和13年秋の本塁打第3位(本塁打王は中島治康で三冠王)。 |
太田勝啓 |
おおた かつあき |
一高-東京帝国大 |
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経歴は調査中。 |
太田健一 |
おおた けんいち |
早稲田実-イーグルス・黒鷲 |
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ビルマで戦死 |
昭和9年夏甲子園出場、昭和10年夏甲子園ベスト4、昭和11年春・夏甲子園出場の際の右翼手、一塁手。 |
大谷道雄 |
おおたに みちお |
静岡中-青山学院大 |
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経歴は調査中。 |
大野正夫 |
おおの まさお |
豊橋中-日本紡績 |
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昭和2.3年夏甲子園愛知県予選第二次リーグ進出、昭和4年東海大会準優勝の際の外野・投手。大野氏に関しては時習館高校(豊橋中の後身)に情報をいただいた。深く感謝する。 |
大原敏夫 |
おおはら としお |
越智中-呉工廠-阪急 |
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中国で戦病死 |
昭和9年夏甲子園愛媛県予選決勝リーグ進出の際の二塁手。 |
大宮 清 |
おおみや きよし |
一宮中-中央大 |
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経歴は調査中。 |
岡田宗芳 |
おかだ むねよし |
広陵中-タイガース・阪神 |
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ニューギニアで戦死 |
昭和10年春甲子園準優勝の際の遊撃手。この大会で優秀選手賞。 |
岡田福吉 |
おかだ ふくきち |
東邦商-早稲田大-黒鷲-大和 |
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中国北支で戦病死。27歳。 |
昭和11年春甲子園ベスト8、12年春ベスト4、13年春準優勝の際の二塁手。同大会で3年連続の優秀選手賞。昭和12年早大入学。大学でも二塁手。 |
小河英一 |
おがわ えいいち |
弘前高-東京帝国大 |
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経歴は調査中。 |
小川実一 |
おがわ じついち |
同志社高商 |
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昭和18年入学。 |
小川年安 |
おがわ としやす |
広陵中-慶応大-阪神 |
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中国で戦死 |
捕手。昭和2年春甲子園田部武男とバッテリーを組んで準優勝。同年夏八十川眸とバッテリーを組んで準優勝。昭和4年春甲子園で準優勝。この大会で打撃賞・生還打賞・塁打賞。慶応大でも活躍。 |
小野欣助 |
おの きんすけ |
八尾中-早稲田大 |
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台湾上空で戦死。27歳。 |
昭和12年早大入学。捕手。昭和14年秋東京六大学リーグ戦の首位打者。 |
小野寺洋 |
おのでら ひろし |
志度商-黒鷲 |
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アマチュア時代の戦績は調査中。 |
織辺由三 |
おりべ ゆうぞう |
育英商-セネタース・翼・大洋 |
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アマチュア時代の戦績は調査中。 |
戒能朶一 |
かいのう だいち |
広陵中-明治大-名古屋 |
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昭和10年春の甲子園準優勝の際の三塁手。この大会で優秀選手賞。 |
香川力 |
かがわ ちから |
丸亀中-早稲田大 |
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経歴は調査中。 |
景浦将 |
かげうら まさる |
松山商-立教大-タイガース・阪神 |
昭和20年 5月20日 |
フィリピン・ルソンの山岳地帯で食糧調達にでかけて還らず |
松山商の投手・内野として昭和7年春甲子園で優勝、昭和7年夏準優勝。夏の決勝戦で打球を膝に受け、骨折しながらもプレーを続けた。立教大でも主戦投手・主力打者として活躍したが、中退してプロ入り。 |
梶上初一 |
かじうえ はついち |
広島商-慶応大-東京倶楽部 |
昭和14年6月8日 |
中国・呂南作戦で戦死。 |
大正13年夏甲子園優勝の際の外野手。この大会で初の2試合連続本塁打。大正14年早大入学。昭和6年度六大学春季リーグ戦優勝の際の主将。 |
樫野元作 |
かしの げんさく |
甲南高-神戸大 |
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経歴は調査中。 |
加島平治 |
かしま へいじ |
早稲田実業 |
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昭和6年夏甲子園出場の際のマネジャー。 |
梶原英夫 |
かじわら ひでお |
高松中-東京帝大-住友金属 |
昭和18年 |
北支戦線から大阪陸軍病院に帰還後戦病死 |
大正15年夏甲子園ベスト4の際の二塁手。昭和3年夏甲子園で天才投手小川正太郎(和歌山中−早稲田大)と投げ合い勝利してベスト4に進むも、「涙のコールドゲーム」で敗退。昭和9年春の東京六大学リーグ戦で.722の高打率で首位打者・模範選手。 |
片山義一 |
かたやま よしかず |
高松商 |
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昭和2年春甲子園出場の際の外野手。3年春出場の際の遊撃手。 |
加藤愛三 |
かとう あいぞう |
愛知一中-同志社高商-同志社大 |
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昭和12年入学。 |
加藤義男 |
かとう よしお |
岐阜商-南満州鉄道株式会社 |
昭和17年12月13日 |
ビルマ・ラングーン郊外で乗っていたトラックが転覆、野戦病院で手当てを受けたが、ほぼ即死であった。 |
岐阜商昭和11年夏甲子園優勝の際の三塁手。 |
加藤恒夫 |
かとう つねお |
中京商 |
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内野手。アマチュア時代の戦績は調査中。 |
加藤三郎 |
かとう さぶろう |
岐阜商-明治大 |
昭和20年 4月6日 |
第13期海軍飛行予備学生となり、神風特攻第一正統隊員として沖縄の艦船目指して出撃し、戦死(tenho氏情報)。 |
岐阜商昭和10年春優勝、11年春出場、11年夏甲子園優勝、12年春ベスト8、13年春ベスト4・夏準優勝の際の捕手。昭和10・11年春優秀選手賞。昭和15年東亜競技大会東京六大学選抜チーム一塁手。技術・頭脳・人望を兼ね備え、「生還していたら戦後野球史が変わっていた」と言われる名選手。 |
加藤忠仁 |
かとう ただひと |
鳥取一中-早稲田大 |
昭和20年7月21日 |
ビルマ トングー。27歳。 |
昭和12年早大入学。内野手。 |
加藤民治 |
かとう たみじ |
名古屋高商-神戸大 |
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経歴は調査中。 |
加藤信夫 |
かとう のぶお |
中京商-専修大-阪神 |
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昭和9年春夏、10年春と甲子園に三回連続して出場したが補欠。 |
角地孫之助 |
かどち まごのすけ |
飯塚商-日鉄二瀬-八幡製鉄 |
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中国戦線で戦病死 |
昭和12年都市対抗野球大会優勝投手。橋戸賞受賞。13年はベスト4。角地については折世凡樹『黒獅子旗に燃えた男たち』に詳しく、フジテレビで『白球に愛を込めて』としてドラマ化された。 |
金井茂雄 |
かない しげお |
高崎商 |
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沖縄で戦死 |
昭和12年夏甲子園出場、13年夏ベスト4の際の投手。 |
上条(小林)一人 |
かみじょう(こばやし) かずと |
松本商 |
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経歴は調査中。 |
神谷春雄 |
かみや はるお |
中京商-日本大 |
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昭和8年春甲子園ベスト4・夏優勝の際の補欠(春は二塁手で出場)。9年春甲子園出場・夏優勝、昭和10年春ベスト8の際の二塁手。昭和8年春ファインプレー賞、10年春は優秀選手賞。 |
雁瀬治貞 |
がんせ はるさだ |
平安中-立教大 |
昭和21年 2月 |
戦場で得た病を押して平安中野球部再建に尽くすが、病死。 |
昭和13年夏甲子園優勝の際の三塁手。この大会ですばらしい好守をみせ「猛将」と呼ばれて大人気だった。決勝の9回に致命的と思われる失策を犯すが、逆転勝ちした。 |
河合信雄 |
かわい のぶお |
一宮中-八高-東京帝国大 |
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昭和8年春甲子園出場の際の投手。対松山商戦で無安打無得点。 |
河瀬幸介 |
かわせ こうすけ |
東邦中-慶応大 |
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中国。 |
昭和10年慶大入学。中堅手。 |
川津二三男 |
かわづ ふみお |
高松商 |
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昭和2年春甲子園出場・夏優勝の際の二塁手。 |
河原井賢三郎 |
かわはらい けんざぶろう |
水戸商-横浜高商 |
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南方戦線で戦死 |
昭和17年全国中等学校練成野球大会ベスト8の際の捕手。 |
川原信夫 |
かわきら のぶお |
嘉義農林 |
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南方戦線で戦死 |
昭和6年準優勝・8年出場の際の二塁手。 |
川村徳久 |
かわむら とくひさ |
甲陽中-立命館大-阪急 |
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アマチュア時代の戦績は調査中。 |
菊池武男 |
きくち たけお |
台北工 |
昭和20年3月10日 |
トカラ列島悪石島付近で輸送船が撃沈されて戦死 |
昭和17年全国中等学校練成野球大会に投手として出場。 |
菊池(旧藤田)俊雄 |
きくち(ふじた) としお |
愛知一中-八高-東京帝国大 |
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経歴は調査中。 |
菊谷正一 |
きくや しょういち |
徳山中-立教大-東京倶楽部 |
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東京六大学リーグで投打に活躍。昭和6年秋、8年春優勝の立役者。7年秋には首位打者。社会人野球でも活躍。 |
岸田勝太郎 |
きしだ かつたろう |
川越中-立教大 |
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経歴は調査中。 |
北之坊茂 |
きたのぼう しげる |
浪華商 |
昭和21年1月 |
朝鮮で帰国を待ちながら病死 |
昭和12年春甲子園優勝の浪華商の控え投手(バッティング投手)。 |
北原昇 |
きたはら のぼる |
松本商-立教大-南海 |
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結核で戦病死 |
昭和8年春甲子園出場の際の遊撃手。この大会で優秀選手賞。 |
鬼頭数男 |
きとう かずお |
中京商-日本大-ライオン-南海 |
昭和19年 7月 |
マリアナ沖で戦死 |
不滅の3連覇を遂げた中京商黄金時代の外野手。 |
木村幸吉 |
きむら こうきち |
愛知一中-早稲田大 |
昭和20年 |
フィリピン。30歳。 |
昭和10年早大入学。左翼手。 |
木村孝平 |
きむら こうへい |
浪華商 |
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経歴は調査中。 |
清原通 |
きよはら とおる |
同志社高商 |
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昭和14年入学。 |
京井秋行 |
きょうい ときゆき |
浪華商-早稲田大 |
昭和19年 12月9日 |
中国湖南省の野戦病院で戦病死。24歳。 |
昭和13年春甲子園ベスト8進出の際の投手・三塁手。この大会で優秀選手賞。昭和15年早大入学。大学では遊撃手。 |
京極与禄 |
きょうごく よろく |
同志社高商 |
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昭和10年入学。 |
桐原真二 |
きりはら しんじ |
北野中-慶応大-大毎野球団 |
昭和20年5月10日 |
報道部新聞班長として従軍。フィリピンルソン島中部で戦死。43歳。 |
遊撃手として活躍。大正7年慶大入学。遊撃手。主将在任の大正14年早慶戦復活に尽力。4大学リーグを発足。野球殿堂入り。 |
楠本保 |
くすもと たもつ |
明石中-慶応大 |
昭和18年 7月23日 |
中国・湖北省黄梅県石塚圩で奇襲攻撃を受け、頭部貫通銃創で戦死。28歳。 |
「世紀の剛球投手」。昭和6年春投手として甲子園出場。昭和7年春甲子園の準優勝投手、大会委員賞、優秀選手賞。同大会対広陵中、対京都師範で全員三振奪取。昭和7年夏甲子園ベスト4の際の投手。この大会での1試合平均三振奪取率16は現在も破られない不滅の記録。同大会対北海中で無安打無得点。昭和8年春甲子園の準優勝投手、優秀選手賞。同大会対平安中で全員三振奪取。昭和8年夏甲子園の対中京商25回戦では外野で出場。昭和10年慶大入学。昭和14年秋東京六大学リーグ戦優勝の際の外野手・主将。 |
国久松一 |
くにひさ しょういち |
興国商-南海 |
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ビルマで戦死 |
アマチュア時代の戦績は調査中。遠投127mで「バカ肩国久」と謳われた。 |
熊谷武臣 |
くまがい たけおみ |
京都一商-同志社高商 |
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昭和13年入学。 |
倉石新造 |
くらいし しんぞう |
長野商-法政大 |
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経歴は調査中。 |
倉信雄 |
くら のぶお |
第一神港商-法政大-全日本・ジャイアンツ |
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沖縄で戦死 |
昭和4年春甲子園優勝の際の捕手。昭和5年東京六大学リーグ戦初優勝の際の捕手。 |
九里正 |
くり ただし |
甲陽中-慶応大 |
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昭和7年慶大入学。遊撃手。 |
栗井俊夫 |
くりい としお |
天王寺商-立教大 |
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経歴は調査中。 |
黒正宏 |
くろまさ ひろし |
米子中-慶応大 |
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昭和12年慶大入学。三塁手。 |
桑島甫 |
くわしま はじめ |
高松商-慶応大-阪急 |
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インパール作戦で戦死 |
昭和13年慶大入学。三塁手。 |
古閑進 |
こが すすむ |
熊本工 |
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熊本工の戦前最後の公式戦である昭和18年1月4日対鹿児島商にエースとして3-2で勝利。 |
小島八太郎 |
こじま はちたろう |
臼杵中-オール津久見 |
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昭和13年大分県南野球大会優勝の際の選手。 |
近藤清 |
こんどう きよし |
岐阜商-早稲田大 |
昭和20年 4月28日 |
神風特攻第二正統隊員として沖縄の艦船目指して出撃し、戦死(tenho氏情報)。25歳。 |
昭和11年夏甲子園優勝、12年春ベスト8、13年春ベスト4、13年夏準優勝、14年春準優勝の際の遊撃手。14年春の優秀選手賞。昭和15年早大入学。昭和17年度東京六大学リーグ戦優勝、「最後の早慶戦」の左翼手。 |
近藤鉄己 |
こんどう てつみ |
愛知商-慶応大 |
昭和20年 8月3日 |
フィリピンルソン島キャンガンで胸部貫通銃創で戦死。29歳。 |
昭和10年春甲子園ベスト4・夏ベスト4の際の捕手。昭和10年春甲子園で優秀選手賞。昭和9年慶大入学。昭和14年秋六大学リーグ戦で13シーズンぶりの優勝に貢献。 |
後藤正 |
ごとう ただし |
第一神港商-立命館大-名古屋 |
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満州南苑方面で戦死 |
昭和4・5年春甲子園優勝の際の一塁手。昭和4年春甲子園で打撃賞・塁打賞。 |
小林正三郎 |
こばやし しょうざぶろう |
柏崎中-早稲田大 |
昭和20年2月 |
フィリピン北部ルソン島。25歳。 |
昭和14年早大入学。捕手。 |
小林(北沢)藤平 |
こばやし(きたざわ) とうへい |
長野商-明治大 |
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経歴は調査中。 |
小林長 |
こばやし ひさし |
豊橋中 |
昭和12年 9月13日 |
上海敵前上陸で戦死 |
昭和5.6.7年夏甲子園愛知県大会出場の際の投手・捕手・三塁手・中堅手。愛称デッサー、野球部では4番打者で主将、また学業では級長として人望が厚かったという。小林氏に関しては時習館高校(豊橋中の後身)に情報をいただいた。深く感謝する。 |
小椋康夫 |
こむく やすお |
同志社高商 |
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昭和12年入学。 |
西郷準 |
さいごう ひとし |
鹿児島二中-立教大 |
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フィリピン・ルソンで戦死 |
西郷隆盛の孫。昭和9年甲子園予選南九州大会準決勝進出の際の投手。昭和13年秋には一試合13四死球の東京六大学記録。15年春には立・慶・明3校同率首位の立役者。昭和13年春・秋、15年春と三度の打率二位。15年東亜競技大会六大学選抜チーム投手。 |
斉藤道夫 |
さいとう みちお |
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浜松商昭和16年卒業。実績は調査中。 |
佐伯喜三郎 |
さえき きさぶろう |
姫路中-早稲田大 |
昭和14年8月1日 |
中国北支大名県竜王朝。30歳。 |
昭和6年日米戦で全日本選抜軍三塁手。昭和2年早大専門部入学。昭和7年度1番打者三原脩と組んだ1・2番コンビは早大野球部史上最高の快脚コンビといわれる。 |
酒井治彦 |
さかい はるひこ |
佐賀中-早稲田大 |
昭和19年2月 |
南方諸島。26歳。 |
昭和11年早大入学。投手。 |
桜内 一 |
さくらうち はじめ |
扇町商-早稲田大 |
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中支戦線で戦死 |
「最後の早慶戦」の控え投手。 |
佐藤四郎 |
さとう しろう |
同志社高商 |
|
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昭和11年入学。 |
佐藤誠治 |
さとう せいじ |
宇都宮中-早稲田大 |
昭和13年 |
韓国龍山陸軍病院で戦病死。26歳。 |
昭和6年早大入学。遊撃手。 |
澤田正美 |
さわだ まさみ |
熊本工 |
|
|
昭和11年春甲子園出場の際の補欠。12年夏甲子園準優勝の際の左翼手。 |
三田政夫 |
さんた まさお |
滝川中-巨人 |
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昭和11春ベスト8、12年春甲子園出場、12年夏ベスト4の際の中堅手。11・12年春優秀選手賞、12年春はファインプレー賞も受賞。 |
塩瀬勇 |
しおせ いさむ |
同志社高商 |
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昭和9年入学。 |
指方一政 |
しかた かずまさ |
長崎商-早稲田大 |
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経歴は調査中。 |
重田大蔵 |
しげた たいぞう |
京阪商業-全大阪 |
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経歴は調査中。 |
嶋清一 |
しま せいいち |
海草中-明治大 |
昭和20年 3月29日午前7時10分 |
第84海防艇で輸送船を護衛中米潜水艦の攻撃を受け、南仏印沖で戦死 |
昭和12年夏甲子園ベスト4、13年春ベスト8、13年夏出場、14年春出場、14年夏優勝投手。13年春優秀選手賞。14年夏甲子園での5試合連続完封と、準決勝対島田商・決勝対下関商の連続無安打無得点は永遠に破られない記録。 |
島田 叡 |
しまだ あきら |
神戸二中-第三高等学校-東京帝国大学 |
昭和20年 6月末 |
沖縄戦当時の沖縄県知事として県民の疎開に尽力するが、ピストルで自決 |
中学・高校と遊撃手として活躍。特に一高との大正10年定期戦では1番中堅手として出場、4打数2安打、1四球、得点2、出塁6回、三盗を含め盗塁6回と大活躍。 |
島本義文 |
しまもと よしふみ |
和歌山中-横浜高工-阪急 |
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昭和2年春甲子園で小川正太郎とバッテリーを組んで優勝。この大会で生還打賞。横浜高工に進んでからは「ハマの早慶戦」高工-高商の定期戦で活躍した。 |
清水勤之助 |
しみず きんのすけ |
太田中-慶応大 |
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昭和13年慶大入学。捕手。 |
下形武次 |
しもがた たけじ |
京王商 |
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フィリピン方面で戦死 |
昭和17年大日本学徒体育振興大会に左翼手として出場。 |
錠者博美 |
じょうしゃ ひろみ |
嘉義農林 |
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中国戦線に出征、戦後抑留されイルクーツクの収容所で死亡 |
昭和6年夏甲子園ベスト8の際の投手。 |
常念孝雄 |
じょうねん たかお |
浪華商 |
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経歴は調査中。 |
白木一二 |
しらき かずじ |
滝川中-国学院大-名古屋 |
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アマチュア時代の戦績は調査中。 |
新谷武一 |
しんたに たけいち |
大阪商大 |
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新富卯三郎 |
しんとみ うさぶろう |
小倉工-門司鉄道局-全日本-ジャイアンツ-阪急 |
昭和20年 8月1日 |
ビルマで地雷に触れ、両膝が砕けて出血多量で戦死。妻子の写真と共に葬られる。 |
昭和6.7年春甲子園、昭和5.7年夏甲子園出場の際の三塁手・捕手。昭和6年夏甲子園ベスト4進出の際の捕手。昭和9年日米戦の際に全日本の放った3本の本塁打のうちの1本を放つ。 |
杉山東洋生 |
すぎやま とよお |
中京商-イーグルス |
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フィリピンで戦死 |
昭和15年春甲子園出場の際の一塁手。 |
鈴木 薫 |
すずき かおる |
鳥取一中 |
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経歴は調査中。 |
鈴木吉朗 |
すずき よしろう |
静岡中-法政大 |
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昭和5年春甲子園ベスト8・夏ベスト8、昭和6年出場、昭和7年春ベスト8・夏出場、昭和8年春出場の際の遊撃手。 |
鈴木田登満留 |
すずきだ とまる |
熊本工-ジャイアンツ-函館オーシャン |
|
戦争の心的外傷後ストレス障害(PTSD)で薬物中毒となり、事故死。 |
昭和11年春甲子園出場の際の補欠。12年夏準優勝の際の中堅手。 |
須藤良男 |
すどうよしお |
北海道大 |
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沖縄で戦死。 |
一塁手。アマチュア時代の戦績は調査中。 |
瀬戸実 |
せと みのる |
同志社高商 |
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昭和11年入学。 |
高木正雄 |
たかぎ まさお |
平安中-慶応大 |
昭和19年 6月18日 |
ビルマ・モガウンでグルカ兵の急襲に遭い、戦死。28歳。 |
昭和8年春甲子園出場、夏準優勝投手。スローカーブを得意とし、沢村の中学時代のライバル。昭和11年慶大入学。昭和14年秋六大学リーグ戦に13シーズンぶり優勝の立役者。 |
高島忠 |
たかしま ただし |
神港中-法政大 |
|
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経歴は調査中。 |
高遠輝吉 |
たかとお てるきち |
長野工業-全長野・長野保線 |
|
|
経歴は調査中。 |
高野百介 |
たかの ももすけ |
松本商-立教大-南海 |
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|
昭和3年夏甲子園優勝、4・5年春甲子園出場の際の左翼手。昭和6年秋東京六大学リーグ戦初優勝の際の外野手。 |
高橋進 |
たかはし すすむ |
一宮中-立教大 |
|
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経歴は調査中。 |
高橋治一 |
たかはし じいち |
愛知商 |
|
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経歴は調査中。 |
高橋外喜雄 |
たかはし ときお |
早稲田実-早稲田大 |
昭和19年11月18日 |
ビルマ・ナンカン野戦病院で戦病死。36歳。 |
大正13年春甲子園準優勝・夏出場の際の三塁手。大正14年夏甲子園準優勝・大正15年春夏出場・昭和2年早大入学。投手。 |
高松静男 |
たかまつ しずお |
愛知一中-早稲田大 |
昭和20年9月8日 |
フィリピン北部ルソン島。50歳。 |
大正4年早大入学。左翼手。 |
竹岡義綱 |
たけおか よしつな |
広島商 |
|
広島で原爆死 |
昭和5年春甲子園出場・夏優勝のときの右翼手。6年春優勝、7年春出場のときの中堅手。 |
竹尻太次 |
たけじり ふとじ |
海草中-明治大 |
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|
昭和12年夏甲子園ベスト4、13年春ベスト8・夏出場の際の三塁手。昭和14年春出場・夏優勝、15年春出場・夏優勝の際の遊撃手。 |
田坂猛 |
たさか たけし |
今治中-法政大 |
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|
経歴は調査中。 |
達川臣伍(仙臣一):フェイクニュースが情報源となった架空の人物であることが判明したため削除しました(2017.2.16) |
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田所武 |
たどころ たけし |
城東商-明治大 |
|
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経歴は調査中。 |
田中雅治 |
たなか まさはる |
海草中-明治大 |
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昭和14年夏甲子園優勝の際の二塁手。昭和15年夏決勝で真田重蔵を救援して好投、優勝投手。 |
谷山久男 |
たにやま ひさお |
甲南高-神戸大 |
|
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経歴は調査中。 |
田部武雄 |
たべ たけお |
広陵中-明治大-全日本-ジャイアンツ-大連実業 |
|
沖縄・摩文仁海岸で機銃弾を浴びる |
昭和2年春甲子園の準優勝投手(捕手は小川年安)。この大会で打撃賞。明治大では遊撃手を主にユーティリティープレーヤーとして活躍。昭和15年夏都市対抗野球で準優勝投手。 |
田村忠 |
たむら ただし |
和歌山中-慶応大 |
|
台湾沖で特攻死。25歳。 |
昭和11年春甲子園に投手として出場。対東邦商戦で5打数5安打の猛打を見せた。昭和12年慶応大入学。中堅手。 |
柘植(亀山)利雄 |
つげ としお |
高松商-神戸税関 |
|
|
昭和2年春甲子園出場・夏優勝の際の三塁手。 |
辻源兵衛 |
つじ げんべえ |
海草中-阪神 |
昭和20年1月12日 |
仏領インドシナ沖で戦死 |
昭和17年全国中等学校練成野球大会ベスト4の際の投手。この大会の詳細については調査中。 |
壺井重治 |
つぼい しげはる |
八尾中-早稲田大 |
昭和20年5月4日 |
鹿児島万世基地から第66振武隊として特攻出撃して戦死。24歳。 |
昭和16年早大合格。「最後の早慶戦」の控え捕手。 |
坪谷幸一 |
つぼや こういち |
北海中-法政大 |
|
|
経歴は調査中。 |
鶴崎俊篤 |
つるさき としあつ |
佐賀中-早稲田大 |
昭和19年7月26日 |
韓国釜山傷痍軍人療養所で戦病死。32歳。 |
昭和7年早大入学。外野手。 |
鶴田勝次 |
つるた かつじ |
岡崎中-早稲田大 |
|
中国上海。24歳。 |
昭和8年早大入学。外野手。 |
寺内一隆 |
てらうち かずたか |
松山商-立教大-コロムビア-イーグルス・黒鷲・大和 |
|
ラバウルで戦死 |
昭和5年春甲子園準優勝、夏ベスト8の際の二塁手。 |
戸田敏夫 |
とだ としお |
神戸高商-神戸大 |
|
|
経歴は調査中。 |
戸田廉吉 |
とだ れんきち |
和歌山中-早稲田大 |
昭和20年7月26日 |
ビルマ シツタン河。44歳。 |
大正11年早大入学。外野手。 |
豊田正 |
とよた ただし |
広島商 |
|
|
大正11年夏甲子園ベスト8、大正13年優勝の際の二塁手。 |
長井信也 |
ながい しんや |
唐津中-法政大 |
|
|
経歴は調査中。 |
中尾長 |
なかお ひさし |
広陵中-明治大-川崎造船所-門司鉄道局-セネタース |
昭和12年 9月19日 |
北中国で戦死 |
大正15年春甲子園優勝、昭和2年春夏準優勝の際の左翼手。2年春の大会で美技賞。昭和3年春夏出場、4年春甲子園準優勝の際の中堅手。4年春の大会で生還打賞。昭和9年大学主将。 |
中河美芳 |
なかがわ みよし |
鳥取一中-イーグルス・黒鷲 |
昭和19年 7月11日 |
フィリピン・レイテ沖で戦死 |
昭和11年夏甲子園出場の際の一塁手・投手。 |
中菅成一 |
なかしげ なりいち |
神戸高商-神戸大 |
|
|
経歴は調査中。 |
中田武雄 |
なかた たけお |
明石中-慶応大 |
昭和18年 7月22日 |
ブーゲンビル島チキ沖で魚雷攻撃を受け、足を負傷して泳ぐが力尽きる。28歳。 |
昭和8年春優秀選手賞。昭和8年夏甲子園での中京商吉田正男との延長25回の投げ合いは永遠に不滅。昭和9年春甲子園で沢村との投げ合いに2-1で投げ勝つ。9年夏兵庫県予選決勝ではまたも延長20回を投げ、スクイズで敗れる。昭和10年慶大入学。大学では外野手として活躍。昭和15年東亜競技大会東京六大学選抜チーム中堅手。 |
中野重之 |
なかの しげゆき |
豊橋中-立教大 |
|
|
経歴は調査中。 |
中村三郎 |
なかむら さぶろう |
諏訪蚕糸-明治大-大東京 |
|
ノモンハンで戦死 |
昭和5年春甲子園出場、この大会で優秀選手賞。5年夏準優勝投手。 |
中村忠一 |
なかむら ただいち |
高尾中-明治大 |
|
|
経歴は調査中。 |
中村政美 |
なかむら まさみ |
長崎商-巨人 |
|
昭和20年1月29日戦死 |
昭和16年全国中等学校錬成野球大会(文部省主催)に出場。 |
永井武雄 |
ながい たけお |
神港中-慶応大-東京倶楽部-大東京 |
昭和13年4月19日 |
北中国郭里集で戦死。 |
大正13年早大入学。投手として大正14.15年の2年間で16勝。昭和6年全日本選抜チームの右翼手。都市対抗では投手・一塁主として活躍。第3〜8回大会に連続出場して打率三割以上をマーク。 |
中倉俊郎 |
なかくら としろう |
七高-東京帝国大 |
|
|
経歴は調査中。 |
長坂信一 |
ながさか しんいち |
東邦商-法政大 |
|
|
昭和9年春甲子園優勝、10年ベスト4の際の補欠。11年春ベスト8の際の右翼手。 |
永田音次郎 |
ながた おとじろう |
浦和商-法政大 |
|
|
経歴は調査中。 |
永谷利幸 |
ながたに としゆき |
平安中-早稲田大 |
|
中支戦線で戦死 |
「最後の早慶戦」の遊撃手。 |
中村治登 |
なかむら はると |
松本商-中央大 |
|
|
経歴は調査中。 |
長良治雄 |
ながら はるお |
岐阜商-慶応大 |
昭和20年 5月25日 |
沖縄へ弾薬を輸送する際、船舶隊を指揮して米軍機に攻撃され戦死(tenho氏情報)。25歳。 |
昭和10年春甲子園優勝、11年春出場、11年夏優勝の際の二塁手。昭和12年慶大入学。大学でも同ポジションで活躍した。 |
納屋米吉 |
なや よねきち |
浪華商-法政大-南海 |
昭和16年 4月3日 31歳 |
インドネシア・バターンで戦死 |
昭和9年春の甲子園で福居治男とバッテリーを組んで準優勝投手。この大会で本塁打賞・優秀選手賞・ファインプレー賞。準決勝では享栄商・近藤金光と二日間にわたる投げ合い。決勝では延長10回自らのランニング本塁打で先制するも走塁の疲れで裏に2点を奪われてサヨナラ負け。 |
二階堂孝一 |
にかいどう こういち |
北海道大 |
|
中国雲南省で戦死。 |
二塁手。アマチュア時代の戦績は調査中。北海道大学恵迪寮歌『津軽の滄海の』を作詞。 |
西家俊良 |
にしいえ しゅんりょう |
浜松商 |
|
|
浜松商昭和16年卒業。実績は調査中。 |
西川博夫 |
にしかわ ひろお |
浦和中-早稲田大 |
昭和19年7月3日 |
中国北支石門陸軍病院で戦病死。26歳。 |
昭和13年早大入学。外野手。 |
西沢義弘 |
にしざわ よしひろ |
豊中中-大阪大 |
|
|
経歴は調査中。 |
西村幸生 |
にしむら ゆきお |
宇治山田中-関西大-タイガース・阪神-大連実業団 |
昭和20年 4月3日 |
フィリピン・バダンガスで戦死 |
昭和8年ハワイ遠征で9勝4敗。昭和9年春秋・10年春秋関西大の関西六大学リーグ戦4連覇の立役者。昭和11年ハワイ遠征で20勝3敗。この間に東京六大学を総なめしたことあり。 |
根津辰治 |
ねづ たつじ |
島田商-慶応大 |
昭和19年9月30日 |
パラオ沖海上。28歳。 |
昭和8年春甲子園出場の際の左翼手。9年夏出場の際の右翼手。10年春ベスト8、12年春甲子園出場の際の中堅手。昭和11年慶大入学。昭和15年秋東京六大学リーグ戦の首位打者。 |
野口昇 |
のぐち のぼる |
中京商-阪神 |
|
フィリピン移動中に戦死 |
野球で有名な野口兄弟の三男。昭和12年夏・13年春甲子園優勝、14年春ベスト4の際の二塁手。14年春優秀選手賞・美技賞。昭和15年春甲子園出場の際の三塁手。 |
野田七郎 |
のだ しちろう |
八尾中-立命館大-川崎造船 |
|
|
経歴は調査中。 |
野村正守 |
のむら まさもり |
八高-東京帝国大 |
|
|
帝大の4番打者としてしばしば本塁打を放った。 |
萩武 |
はぎ たけし |
浪華商-関西大-大連実業 |
昭和19年 10月20日 23歳 |
レイテ島で戦死 |
昭和12年春優勝の際の中堅手。 |
蜂巣勝二 |
はちす かつじ |
高崎商 |
|
|
昭和13年夏ベスト4の際の二塁手。 |
服部一郎 |
はつとり いちろう |
東邦商-法政大 |
|
|
経歴は調査中。 |
萩原寛男 |
はぎわら ひろお |
松山商-早稲田大 |
|
|
経歴は調査中。 |
長谷川満 |
はせがわ 満 |
同志社高商 |
|
|
昭和8年入学。 |
鼻岡正一 |
はなおか しょういち |
広島商 |
|
|
経歴は調査中。 |
花木昇 |
はなき のぼる |
中京商-専修大 |
|
|
昭和8年春甲子園ベスト4、8年夏優勝、9年春出場の際の補欠。10年春ベスト8の際の右翼手。 |
早坂政八 |
はやさか せいはち |
山形中 |
|
|
外野手。アマチュア時代の戦績は調査中。 |
林節 |
はやし たかし |
高松中-早稲田大 |
昭和19年7月29日 |
中国北支新郷。26歳。 |
昭和13年早大入学。野球部チーフマネジャー。 |
林司 |
はやし つかさ |
豊橋中 |
|
ギルバート諸島の空中戦で戦死 |
昭和17年全国中等学校体育大会野球予選兼愛知県中等学校野球大会に出場。攻走守三拍子そろった好選手であったという。 |
林一満 |
はやし かずみつ |
市岡中-大阪商大 |
|
|
経歴は調査中。 |
林信一 |
はやし しんいち |
同志社高商 |
|
|
昭和13年入学。 |
林安夫 |
はやし やすお |
一宮中-朝日 |
|
|
昭和16年春の甲子園準優勝投手。この大会で優秀選手賞・打撃賞。昭和17年全国中等学校錬成野球大会出場の際の投手。 |
原一朗 |
はら いちろう |
呉港中-タイガース-大東京・ライオン |
|
|
昭和9年夏甲子園優勝、昭和11年春夏出場の際の捕手。9年の優勝投手は藤村富美男。 |
原(黒田)忠司 |
はら(くろだ) ただし |
姫路中-立教大 |
|
|
経歴は調査中。 |
樋池真澄 |
ひいけ ますみ |
関西学院中-慶応大 |
|
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昭和10年慶大入学。外野手。 |
東 武雄 |
ひがし たけお |
第一高等学校-東京帝大 |
|
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東京六大学リーグで通算16勝32敗203奪三振。昭和2年対立教大戦で無安打無得点。 |
疋田捨三 |
ひきた すてぞう |
高輪中-法政大 |
|
|
経歴は調査中。 |
日高(大浜)静 |
ひだか(おおはま) しずか |
広陵中-法政大 |
|
|
経歴は調査中。 |
日比野寿一 |
ひびの ひさいち |
津島中-法政大 |
|
|
経歴は調査中。 |
平田好一 |
ひらた こういち |
四高-大阪大 |
|
|
経歴は調査中。 |
平林栄治 |
ひらばやし えいじ |
松本商-阪神 |
|
|
昭和13年夏・15年春甲子園出場、15年夏ベスト4進出の際の遊撃手。 |
平林 馨 |
ひらばやし かおる |
諏訪中-大阪大 |
|
|
経歴は調査中。 |
広沢育三 |
ひろさわ いくぞう |
岡山一中-大阪商大 |
|
|
|
広瀬習一 |
ひろせ しゅういち |
大津商-巨人 |
|
|
昭和14年春甲子園出場の際の遊撃手。野球をやる前は陸上競技の選手で、「大津の馬」と呼ばれていた。吉岡隆徳(「暁の超特急」と呼ばれ10.3秒の100走記録:当時世界記録は長く日本記録として君臨した)から「走るフォームはバラバラだが馬力で走る。フォームを直したらもっと速くなる」とアドバイスされたほどの逸材。母と妹だけの家庭環境だったという。戦死後の家族の苦境が偲ばれる。 |
福居治男 |
ふくい はるお |
浪華商-法政大 |
昭和19年 8月18日 |
バシー海峡で輸送船が撃沈され戦死 |
昭和9年春甲子園で納家米吉とバッテリーを組んで準優勝。昭和10年春も選抜されたが、兄弟校の不祥事で出場を辞退。12年春には村松長太郎とバッテリーを組んで優勝。同年夏も甲子園出場。昭和9年春にはファインプレー賞、12年春には優秀選手賞。 |
福士勇 |
ふくし いさむ |
青森商-青森林友-ライオン・朝日 |
昭和19年 |
フィリピン・ルソン島で戦死 |
アマチュア時代の戦績は調査中。中学時代は捕手。朝日時代に投手転向。 |
福島清亮 |
ふくしま きよすけ |
同志社高商 |
|
|
昭和14年入学。 |
福島又男 |
ふくしま またお |
嘉義農林 |
|
南方戦線で戦死 |
昭和6年準優勝・8年出場の際の右翼手。 |
福谷正二 |
ふくたに しょうじ |
神奈川商工-早稲田大 |
|
|
経歴は調査中。 |
福谷正雄 |
ふくたに まさお |
中京商-中央大 |
|
|
三塁手。アマチュア時代の戦績は調査中。 |
藤井堅太郎 |
ふじい けんたろう |
同志社高商 |
|
|
昭和11年入学。 |
藤田公造 |
ふじた こうぞう |
山形中-東京農大 |
|
|
外野手。アマチュア時代の戦績は調査中。 |
伏見五郎 |
ふしみ ごろう |
函館中-イーグルス・黒鷲-函館オーシャン |
|
フィリピン・メレヨン島で戦死 |
昭和15年の全道樺太実業団野球大会で全旭川と球史に残る延長27回戦の際に捕手を務める。名捕手久慈次郎が試合中に送球をコメカミに受けて死亡したため、プロに在籍したまま代わりに出場したという説がある。 |
藤松清和 |
ふじまつ きよかず |
東奥義塾中-早稲田大 |
昭和19年10月 |
南方戦線で戦死 |
昭和7年早大入学。捕手。 |
藤吉善吉 |
ふじよし ぜんきち |
台北工 |
昭和19年11月 |
東シナ海で乗船していた船が撃沈される |
昭和17年大日本学徒体育振興大会に左翼主として出場。 |
淵本仁行 |
ふちもと ひとゆき |
千葉中-立教大 |
|
|
経歴は調査中。 |
船越正治 |
ふなこし まさはる |
青山学院中等部−青山学院大 |
|
|
|
古島誠治 |
ふるしま せいじ |
高崎商-立教大 |
|
|
昭和12年夏甲子園出場、13夏ベスト4の際の三塁手。15年夏出場の際の投手。 |
本田耕一 |
ほんだ こういち |
日大三中-法政大 |
昭和20年 5月14日 |
九州東南海面で特攻死 |
法政大の一塁手。名古屋軍石丸進一の「最後のキャッチボール」の相手と伝えられる。石丸進一の項へ |
前川正義 |
まえかわ まさよし |
東邦商-阪神 |
|
|
アマチュア時代の戦績は調査中。 |
前田喜代士 |
まえだ きよし |
武生中-日本レイヨン-名古屋 |
昭和13年 1月 |
職業野球選手最初の戦死者 |
アマチュア時代の戦績は調査中。 |
政野岩夫 |
まさの いわお |
鹿児島商-南海 |
|
硫黄島へ向かう途中輸送船が撃沈される |
アマチュア時代の戦績は調査中。昭和14年職業野球リーグ戦勝利第5位、防御率第8位。プロ野球の年間与四死球ベスト20に2回入っているからコントロールのほどがしのばれる。 |
増田敏 |
ますだ とし |
鹿児島実-南海 |
|
|
昭和16年夏甲子園鹿児島県予選で延長13回準優勝(優勝校・準優勝校は通常の年なら南九州大会出場権がある)。この年南九州大会・本大会中止。 |
松井栄造 |
まつい えいぞう |
岐阜商-早稲田大 |
昭和18年 5月28日 |
中国湖北省の宣昌県桃家坊で頭部貫通銃創で戦死。28歳。 |
昭和8年春、昭和10年春、昭和11年夏の甲子園優勝投手(捕手は加藤三郎)。昭和9年春、11年春にも甲子園出場。昭和9・10年春優秀選手賞。1m落ちるドロップで「3尺」のあだ名があった。昭和12年早大入学。大学では外野手(主に中堅手)として活躍。昭和15年東亜競技大会東京六大学選抜チーム左翼手。 |
松井信 |
まつい まこと |
下関商-明治大 |
|
|
経歴は調査中。 |
松岡豊吉 |
まつおか とよきち |
同志社高商 |
|
|
昭和16年入学。 |
松下繁二 |
まつした しげじ |
明石中-法政大-阪神 |
|
|
昭和7年春甲子園で優秀選手。昭和8年夏甲子園対中京商延長25回戦の三塁手。法政大では5番打者で左翼手。 |
松本登 |
まつもと のぼる |
水戸高-東京帝国大 |
|
|
経歴は調査中。 |
松本友二 |
まつもと ゆうじ |
長岡中-早稲田大 |
昭和19年 |
インドマライ。26歳。 |
昭和11年早大入学。捕手。 |
松本利一 |
まつもと りいち |
関西中-金鯱-阪急 |
|
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アマチュア時代の戦績は調査中。 |
松本力治 (上原敏) |
まつもとりきじ (うえはらびん) |
大館中-専修大-ポリドール |
昭和19年 7月29日 |
ニューギニアウエアクで戦死。享年36。 |
昭和8年春、9年春東京五大学リーグ戦優勝の際の投手。昭和11年に上原敏の芸名で歌手デビューし、「妻恋道中」「おしどり道中」「流転」「裏町人生」「上海だより」などのヒットを飛ばした。 |
丸尾至 |
まるお いたる |
六高-東京帝国大 |
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丸山久四郎 |
まるやま きゅうしろう |
宇都宮商-法政大 |
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経歴は調査中。 |
三上豊治 |
みかみ とよじ |
山形中 |
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昭和11年夏甲子園出場の際の三塁手。12年夏、13年夏出場の際の投手。弟は代打・三塁手・二塁手・遊撃手として4年連続出場。 |
三木貫太郎 |
みき かんたろう |
宇和島中-横浜高商 |
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学徒動員で海軍航空隊に入隊、内地の空中戦で戦死 |
昭和15年第9回四国中等学校野球大会(昭和16年春甲子園の選考大会)に進出の際の遊撃手。 |
御子柴長雄 |
みこしば ひさお |
諏訪蚕糸-明治大 |
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経歴は調査中。 |
三代沢角雄 |
みしろざわ すみお |
松本商-中央大 |
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一塁手。アマチュア時代の戦績は調査中。 |
水口武 |
みずぐち たけし |
同志社高商 |
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昭和8年入学。 |
水野辰彌 |
みずの たつや |
愛知一中-早稲田大 |
昭和22年 |
終戦後、国府軍大佐として国共内戦で戦死。32歳。 |
昭和9年早大入学。左翼手。 |
水原義明 |
みずはら よしあき |
高松中-早稲田大 |
昭和20年10月31日 |
中国上海南京郊外。38歳。 |
昭和2年秋と昭和4年春の東京六大学リーグ首位打者。左の巧打者として活躍した。 |
三曽野一雄 |
みその かずお |
台北一中-同志社高商 |
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昭和9年入学。 |
皆川一 |
みながわ はじめ |
鉄道教習所-門司鉄道 |
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経歴は調査中。 |
南与四郎 |
みなみ よしろう |
秋田商-法政大 |
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経歴は調査中。 |
宮川喜八郎 |
みながわ きはちろう |
京都一商-同志社高商 |
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昭和10年入学。 |
三原 宏 |
みはら ひろし |
鳥取一中 |
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経歴は調査中。 |
三宅喬二郎 |
みやけ きょうじろう |
松江中-立教大 |
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経歴は調査中。 |
三宅寿一 |
みやけ じゅいち |
三豊中-法政大 |
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経歴は調査中。 |
宮口美吉 |
みやぐち よしきち |
京阪商-南海 |
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昭和13年春甲子園出場の際の投手。14年夏ベスト8の際の一塁手・投手。昭和14年職業野球リーグ戦で平野正太郎と二人がかりで阪急を無安打に抑えるが、1点をとられ、珍しい継投無安打有得点試合となる。 |
宮本市太郎 |
みやもと いちたろう |
海草中-明治大 |
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昭和8年春甲子園ベスト8の際の補欠。昭和10年春夏出場の際の投手。大学では内野手・マネジャーとして活躍。 |
宮本利学 |
みやもと りがく |
海草中-明治大 |
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経歴は調査中。 |
三次善次 |
みよし ぜんじ |
高松中-早稲田大 |
昭和19年9月 |
グアム島。28歳。 |
昭和9年夏甲子園ベスト8の際の投手。昭和10年早大入学。大学では外野手(主に中堅手)として活躍。 |
三輪八郎 |
みわ はちろう |
高崎商-タイガース・阪神 |
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中国山東省で戦死 |
アマチュア時代の戦績は調査中。タイガース最初のノーヒッター。 |
村上重夫 |
むらかみ しげお |
中京商-明治大-大洋レーヨン-ライオン・朝日 |
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フィリピン・レイテ島で戦死 |
昭和6年春甲子園準優勝、6年夏甲子園初制覇、昭和7年春ベスト4、7年夏連覇の際の中堅手。昭和6.7年春優秀選手。東京六大学リーグ戦では昭和12年春秋、13年春秋と史上初の4連覇に貢献した。 |
村瀬一三 |
むらせ いちぞう |
享栄商-名古屋-阪神 |
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昭和11・12年春甲子園出場の際の遊撃手。昭和12年春優秀選手賞。 |
村松幸雄 |
むらまつ ゆきお |
掛川中-名古屋 |
昭和19年 9月30日 |
グアムで戦死 |
昭和13年夏甲子園出場の際の投手。開会式で主将として宣誓した。「我々は武士道の精神にのっとり、正々堂々と試合をせんことを期す」 |
村松長太郎 |
むらまつ ちょうたろう |
浪華商-セネタース・翼・大洋 |
昭和19年 6月20日 |
太刀洗飛行機学校で演習中に激突死。結婚12日前だったという。 |
昭和12年春の甲子園優勝投手。4試合中徳島商に1点を与えただけで3試合を完封(中京商の野口二郎が4試合完封するまでの記録)。この大会で優秀選手賞。昭和12年夏出場の際の投手。昭和13年春甲子園出場の際の三塁手。この大会で生還打賞。 |
本橋精一 |
もとはし せいいち |
早稲田実-早稲田大 |
昭和21年1月31日 |
中国満州陸軍病院で戦病死。30歳。 |
早実時代は投手・内野手。昭和11年早大入学。大学では二塁手。 |
森 国五郎 |
もり くにごろう |
大分商-阪神 |
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昭和13年夏甲子園出場の際の中堅手。 |
森田実 |
もりた みのる |
飯塚商-日鉄二瀬-金鯱・大洋 |
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アマチュア時代の戦績は調査中。 |
森本茂 |
もりもと しげる |
松山商-法政大 |
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大正13年春出場の際の捕手。大正14年春優勝投手。 |
八木進 |
やぎ すすむ |
関東学院中-南海 |
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アマチュア時代の戦績は調査中。 |
矢島(繁原)粂安 |
やじま (しげはら) くめやす |
松本商-早稲田大-東京倶楽部-全日本 |
昭和19年4月 |
ボルネオ島で戦病死。 |
あだ名は「信州のベーブ・ルース」。大正15年春甲子園準優勝の際の外野手。準決勝で高松商宮武三郎から選抜初のサヨナラ本塁打を放つ。昭和3年早大入学。大学でも中心打者として活躍。 |
安居憲三 |
やすい けんぞう |
同志社高商 |
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昭和13年入学。 |
柳沢育夫 |
やなぎさわ いくお |
松江中-大阪大 |
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経歴は調査中。 |
柳沢伸保 |
やなぎさわ のぶやす |
台北工業 |
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昭和17年全国中等学校練成野球大会に遊撃手として出場。 |
矢吹省三 |
やぶき しょうぞう |
福知山中-早稲田大 |
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朝鮮総督府 |
昭和5年早大入学。捕手。 |
山田勝三 |
やまだ かつぞう |
同志社高商 |
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昭和13年入学。 |
山田豊 |
やまだ ゆたか |
松江中-慶応大-全大阪 |
昭和14年3月7日 |
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昭和6年慶大入学。遊撃手。 |
山根重二 |
やまね しげじ |
大阪商大 |
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経歴は調査中。 |
山村五郎 |
やまむら ごろう |
台北一中-同志社高商 |
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昭和9年入学。 |
山本五十六 |
やまもと いそろく |
長岡中―海軍兵学校 |
昭和18年4月18日 |
ブーゲンビル島上空で機上戦死。 |
明治29年から34年、長岡中学野球部で二塁手として活躍。 |
山本英雄 |
やまもと ひでお |
台北一中-慶応大 |
昭和19年10月23日 |
フィリピン沖で戦死。23歳。 |
元日本アマチュア野球協会会長で殿堂入りの山本英一郎の実弟。昭和17年慶大入学。投手。 |
山脇正元 |
やまわき まさもと |
暁星中-静岡高-東京帝国大 |
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経歴は調査中。 |
有請末雄 |
ゆうせい すえお |
宇和島中-法政大 |
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昭和10年夏甲子園四国大会出場、11年夏四国大会準優勝の際の投手。松山商全盛時代で甲子園出場は逃がしたが、東京六大学で活躍した。 |
湯川康三 |
ゆかわ やすぞう |
同志社高商 |
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昭和14年入学。 |
柚木俊治 |
ゆき としはる |
大正中・呉港中-立教大 |
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昭和7年夏甲子園出場、8年春出場・夏ベスト8、9年春出場・夏優勝の際の遊撃手。昭和9年春には優秀選手賞。 |
由利繁 |
ゆり しげる |
平安中-早稲田大 |
昭和20年8月6日 |
広島で原爆死。 |
中学時代は投手。昭和13年早大入学。大学では外野手。 |
吉井喜水 |
よしい よしみ |
松山中 |
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昭和11-13年遊撃手として全国中等学校野球選手権愛媛県予選に出場。 |
吉江一行 |
よしえ かずゆき |
磐城中-早稲田大 |
昭和20年10月3日 |
戦場で病を得て復員後長崎県佐世保で死亡。 |
昭和16年早大入学。「最後の早慶戦」の中堅手。 |
由谷敬吉 |
よしたに けいきち |
鳥取一中-第一高等学校-東京帝大 |
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昭和9年〜11年の一高-三高定期戦で3年連続完封勝ち。昭和13年の東京六大学リーグ戦で明治大・法政大を完封引き分けするなど、貧打をバックに好投した。 |
吉田亨 |
よしだ とおる |
和歌山中-早稲田大 |
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経歴は調査中。 |
吉田文治 |
よしだ ぶんじ |
神戸一中 |
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経歴は調査中。 |
吉田政雄 |
よしだ まさお |
中京商 |
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昭和12年春甲子園準優勝、12年夏優勝、13年春優勝の際の三塁手。 |
吉原正喜 |
よしはら まさき |
熊本工-ジャイアンツ・巨人 |
昭和19年 10月10日 25歳 |
インパール作戦で機銃掃射を浴び、手榴弾で自決 |
昭和9年夏甲子園準優勝、11年春出場、12年夏準優勝の際の捕手。12年には川上哲治とバッテリーを組んだ。12年の明治神宮大会では優勝。 |
吉村大 |
よしむら ひろし |
同志社高商 |
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昭和16年入学。 |
リベラ |
Ribera |
フィリピン-巨人 |
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昭和20年2月10日戦死 |
アマチュア時代の戦績は調査中。 |
渡辺勝次 |
わたなべ かつじ |
佐賀中 |
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潜水艦司令として作戦中撃沈され戦死。 |
アマチュア時代の戦績は調査中。 |
渡辺靜 |
わたなべ しずか |
小諸商-朝日 |
昭和20年6月6日 22歳 |
陸軍特別攻撃隊第165振武隊として沖縄方面で特攻死 |
渡辺静の生涯については 中島正直『白球にかけた青春』株式会社櫟 に詳しい。 |
渡辺新 |
わたなべ しん |
広島商-同志社高商 |
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昭和15年入学。 |
渡辺敏夫 |
わたなべ としお |
甲陽中-法政大 |
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経歴は調査中。 |
渡辺正守 |
わたなべ まさもり |
秋田中-立教大 |
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経歴は調査中。 |
アレックス・バー |
Alex =Burr |
NYヤンキース |
1918.10.12 |
第一次世界大戦 フランス・カゾーで戦死。 |
アマチュア時代の戦績は調査中。大リーグでは守備固めで1試合のみ出場。 |
ボブ・ トロイ |
Bob = |
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第一次大戦で戦死。 |
フォークボールの発明者といわれる。メジャーでの登板は1試合のみ。 |
クリスティー・ マシューソン |
Christy =Mathewson |
NYジャイアンツ |
1925,10,7 |
第一次世界大戦で毒ガスを吸い、後遺症で死去 |
沢村のフォームの手本になったといわれる大投手。アマチュア時代の戦績は調査中。大リーグ通算373勝188敗、防御率2.13、2502奪三振。最多勝4回、防御率1位5回、勝率1位2回、奪三振王5回。1905年のワールドシリーズで3完封は不滅の記録。 |
エディ・ グラント |
Eddie =Grant |
PHIフィリーズ−CINレッズジャイアンツ |
1918.10.5 |
第一次世界大戦 フランス・アルゴンヌの森で戦死。 |
アマチュア時代の戦績は調査中。大リーグ9シーズン通算打率.249、本塁打5本、打点277、盗塁153。守備位置は主に三塁。 |
ハリー・ オニール |
Harry =O’Neill |
PHIアスレチックス |
1945.5.6 |
第二次世界大戦 硫黄島で戦死。 |
アマチュア時代の戦績は調査中。大リーグでは守備固めで1試合だけ出場。 |
エルマー・ ジェディオン |
Elmer =Gedeon |
WSHセネタース |
1944.4.20 |
第二次世界大戦 フランス・サンポールで戦死。 |
アマチュア時代の戦績は調査中。大リーグ1シーズン通算打率.200、本塁打0、打点32、盗塁0。 |
ボブ・ ネイバーズ |
Bob =Neighbors |
SLブラウンズ |
1952.8.8 |
朝鮮戦争 北朝鮮で戦死。 |
アマチュア時代の戦績は調査中。大リーグ1シーズン通算打率.182、本塁打1本、打点23、盗塁0。 |
シゲノ・ジョー・タカタ |
Shigeno =Joe =Takata |
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1943.9.29 |
第二次世界大戦 日系米国人部隊として編成された第100歩兵大隊隊員としてイタリア・サレルノ海岸で戦死。同大隊最初の戦死者。 |
アマチュア時代の戦績は調査中。 |
[団体]参照した文献の相違により合計人数に食い違いがある。
団体名 |
所属 |
主な戦死者 |
計 |
東京六大学リーグ |
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各大学の戦没者参照 |
123名 |
早稲田大学 |
東京六大学リーグ |
松井栄造、小野欣助、本橋精一、近藤清 |
30名 |
慶應義塾大学 |
東京六大学リーグ |
楠本保、中田武雄、高木正男、長良治雄、桐原真二 |
14名 |
明治大学 |
東京六大学リーグ |
加藤三郎、嶋精一、宮本市太郎、村上重夫、阿瀬泰次郎 |
13名 |
立教大学 |
東京六大学リーグ |
西郷準、寺内一隆、菊谷正一 |
20名 |
法政大学 |
東京六大学リーグ |
本田耕一、長坂信一 |
26名 |
東京帝国大学 |
東京六大学リーグ |
東武雄、梶原英夫、由谷敬吉 |
13名 |
日本職業野球連盟 |
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沢村栄治、景浦将、石丸進一 |
64名 |
日本中等野球連盟 |
甲子園出場者のみ |
花木昇、三上豊治、片山義一 |
55名 |
日本中等野球連盟 |
甲子園未出場者 |
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不明 |
同志社大学 |
関西六大学リーグ |
水口武、長谷川満 |
25名 |
立命館大学 |
関西六大学リーグ |
青柴憲一、後藤正、川村徳久 |
調査中 |
関西大学 |
関西六大学リーグ |
西村幸生、 |
調査中 |
関西学院大学 |
関西六大学リーグ |
調査中 |
調査中 |
京都帝国大学 |
関西六大学リーグ |
調査中 |
調査中 |
神戸商科大学 |
関西六大学リーグ |
樫野元作、谷山久男、戸田敏夫、中菅成一、加藤民治 |
5名 |
日本大学 |
東京五大学リーグ |
鬼頭一雄 |
調査中 |
國學院大學 |
東京五大学リーグ |
白木一二 |
調査中 |
専修大学 |
東京五大学リーグ |
加藤信夫 |
調査中 |
中央大学 |
東京五大学リーグ |
調査中 |
調査中 |
東京農業大学 |
東京五大学リーグ |
調査中 |
調査中 |
小樽高等商業学校 |
|
調査中 |
10名 |
北海道帝国大学 |
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二階堂孝一、須藤良男 |
6名 |
青山学院大学 |
|
船越正治、大谷道雄 |
調査中 |
大阪商科大学 |
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今橋整一郎、新谷武一、林一満、広沢育三、山根重二 |
5名 |
丘の上の平和なる日々に征きて還らぬ人々を思う
-慶應義塾大学塾長小泉信三-
ここではアマチュア選手も顕彰・慰霊するため、職業野球選手も主にアマチュア時代の戦績を紹介した。
職業野球時代の戦績は沢村栄治人名辞典を参照。